漱石、道後温泉についての言及

松山在住時代、「愛媛県には少々愛想が尽き申候」(明治28年11月6日付子規宛書簡)と言っていた夏目漱石……。だが、道後温泉だけは気に入っていた。東京にもどってからの漱石は、村上霽月や高浜虚子に宛てた書簡の中で、道後温泉について次のように述べている。

松山に居た頃の事を思ふとまるで夢の様に候 一度は又遊びに行き度(たき)感も有之(これあり)候 道後の湯は実にうれしきものに候 (明治38年5月8日付 村上霽月宛書簡)

松山へ御帰りの事は新聞で見ました 一昨日東洋城からも聞きました 私が弓をひいた垜(あずち)がまだあるのを聞いて今昔の感に堪えん 何だかもう一遍行きたい気がする 道後の温泉へも這入りたい あなたと一所に松山で遊んでゐたら嘸(さぞ)呑気な事と思ひます (明治40年7月16日付 高浜虚子宛書簡)

近来俳句を作らず作らうとしても出来かね候 道後の温泉へでも浸らねば駄目と存(ぞんじ)候 (明治41年7月27日付 村上霽月宛書簡)


漱石が道後温泉を好んでいたことを知っていた高浜虚子は、自著『伊豫の湯』の中で道後に通う漱石を登場させている(同書は漱石没後の作)。以下にその一部を引用しておこう。

彼は閑を見出せば此道後温泉に来た。(中略)粗末な不愉快な校舎の中で其等の生徒に程度の低い英語を教へて、それで粗野な其の田舎者の生徒から軽侮されるのは決して楽しい日課では無かった。彼は早く此地を去り度いと思ふことも一再では無かったが、彼を此の地から引き離し兼ねるものに唯一つの道後温泉があった。彼は学校をすませて帰ると手拭を手にして早速此の温泉に出掛けた。日曜日などは石手川あたりを散歩して其足で此温泉に浸った。彼が此温泉に浸る時の心持は極めて純な清い静かなものであった。(中略)彼は斯くの如くして過ごす此温泉の中の時といふものを普通の世間の時といふものと同じには考へ度くなかった。強ひて類を求むれば其は彼が静かなる灯火の下に会心の書に読み耽る其の間にすぎ行く時と似たるものであった。「自分は此温泉あればこそ此地に留るのだ。」彼は温泉の中に浸り乍らさう考へた。自然が此偏僻の田舎に斯の如くして下した天恵を彼は不思議に眺めた。清透なる其質、好適なる其温度、尽くること無き其量、恰も彼が書物を通して得来る哲人の智や情や徳と似通うたものがあった。(中略)彼は須臾にして文壇の第一人者となった。(中略)此の後半期に於ける彼の活動、彼の盛名、彼の得意、それは果たして彼自身でも予期して居ったところのものであったらうか。まことに彼の後半生は花やかな目ざましいものであった。而かも彼が道後温泉を浴びながら其処に味った純な静な清い時を其後彼は再び彼の「時」のうちに見出し得たかどうか。其は疑問とすべきである。彼とは夏目漱石の事である。



【典拠文献・参考文献】
高浜虚子『伊豫の湯』(復刻版) 虚子碧梧桐生誕百年祭実行委員会 1973年10月
『漱石全集』第22巻 岩波書店 1996年3月
『漱石全集』第23巻 岩波書店 1996年9月

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