「三津十勝」

「三津十勝」-明治41年(1908)、森田雷死久選

①小富士の夕焼、②洲崎の魚市、③川口の建網、④佐島の漁舟、⑤御台場の網曳、⑥厳島社頭の月、⑦畷の青嵐、⑧善宗寺の臥竜松、⑨定秀寺の銀杏、⑩埠頭の朝霧


①の小富士は興居島(三津浜沖の島)南部の山(標高282m)。「海晴れて小富士に秋の日くれたり」子規、明治28年の句。④の佐島は大可賀3丁目、海岸のすぐ前の浅瀬のように見える島。⑤の御台場は三津浜小学校の西の海岸。幕末に松山藩の砲台(台場)が築かれた。⑦の畷(なわて)は松縄手(厳島神社前から三本柳までの名称)。道の両側に松並木があった。「のどかさや少しくねりし松縄手」子規、明治28年の句。⑧の臥竜松は藩政時代よりの名木であったが、近年枯れ死した。⑨の銀杏は沖合を行く船からもよく見え、三津の目印とされていた。「銀杏寺をたよるやお船納涼の日」河東碧梧桐、明治43年の句。「三津十勝」の選者森田雷死久(1872-1914)は本名愛五郎、法諱貫久。常福寺(松山市潮見)住職。雷死久は俳号(自作の句「雷公の死して久しき旱かな」によるもの)。

【参考文献】
『愛媛県百科大事典』下巻(神田泰雄執筆「名勝名所選」の項) 愛媛新聞社 1985年6月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 人物』 1889年2月
森元四郎『椿守り』 2003年12月

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村


テーマ : 雑記
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード