明治28年10月12日の子規

明治28年(1895)10月12日、松山を発つことになった子規の送別会が二番町の料亭「花廼舎(花廼家)」で開かれた。同年8月24日に帰省して以来、約50日、病気療養を目的とする滞松であったが、子規にとってはこれが最後の故郷滞在となった。「花廼舎」での送別会には、近藤我観、中村愛松、天野箕山、御手洗不迷、野間叟柳、釈一宿(正宗寺住職)、夏目漱石(当時松山中学の英語教師)、大島梅屋、服部華山、国安半石、玉井馬風、白石南竹、伴狸伴、豊島天外、岡村三鼠、大道寺松露、柳原極堂が出席。子規はこの席で送別者ひとりひとりの雅号を詠み込んだ句を作っている(近藤我観に「念の月晴れにけり一人」など17句)。この席での漱石の送別の句-「疾く帰れ母一人ます菊の庵」「秋の雲ただむらむらと別れ哉」「見つつ行け旅に病むとも秋の富士」「この夕べ野分に向いてわかれけり」「お立ちやるかお立ちやれ新酒菊の花」。「お立ちやるか~」の句は松山地方の方言をつかっている。子規の留別の句-「送られて一人行くなり秋の風」。子規は後日、「漱石に別る」の前書きで「行く我にとどまる汝(なれ)に秋二つ」の句も作っている。

この送別会が開かれた「花廼舎」は、子規の「東京松山比較表」では東京の「八百膳」と対比された料亭で、二番町の「梅の家」(現在明治安田生命二番町ビル)の東隣にあったらしい。「大きな黒門のある家であった」と極堂の『友人子規』には書かれている。同書出版当時(昭和18年)にはまだあったということであるが、昭和20年の戦災で焼失したのであろう。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第21巻(草稿 ノート)講談社 1976年11月
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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