子規の号

正岡子規(幼名処之助・升、本名常規)は、「子規」という有名な雅号以外にもさまざまな文筆上の号をもっていた。「常規凡夫(じょうきぽんぷ)」「丈鬼(じょうき)」「獺祭漁夫(だっさいぎょふ)」「秋風落日舎主人(しゅうふうらくじつしゃしゅじん)」「野暮流(のぼる)」「盗花(とうか)」「沐猴冠者(もっこうかじゃ)」「莞爾生(かんじせい)」「蕪翠(ぶすい)」「迂歌連達摩(うかれだるま)」「四国仙人(しこくせんにん)」「浮世夢之助(うきよゆめのすけ)」「有耶無耶漫士(うやむやまんし)」「野球(のぼーる)」「都子規(つねのり)」「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)「香雲(こううん)」「竹ノ里人(たけのさとびと)」「西子(せいし)」「漱石(そうせき)」「老桜(ろうおう)」「桜亭仙人(おうていせんにん)」「面読斎(めんどくさい)」「螺子(らし)」等々。

「子規」は啼いて血をはくというホトトギス。自身が喀血したことと本名常規の「規」字が含まれていることからこれを号とした。『筆まかせ』第二編明治二十三年の部「雅号」には「去歳春喀血せしより子規と号する故」云々とある。「常規凡夫」は本名の常規に蒸気ポンプを重ねたもの。「丈鬼」は常規の音に、江戸時代の俳人丈草と鬼貫の字をあてたもの。「獺祭漁夫」「獺祭書屋主人」の「獺祭」は獺(カワウソ)が捕った魚を食う前にならべることから、詩文を作るために多くの書物をひろげ散らすという意。俳論・俳話の類には「獺祭書屋主人」の号が用いられた。「野球」はベースボールに熱中していたときの号。「香雲」は桜の花の形容で、松山中ノ川の正岡家にあった桜の老樹(「正岡の桜」と呼ばれていた)に因んだもの。「老桜」「桜亭仙人」もこれに同じ。「竹ノ里人」は子規の住んだ東京根岸が呉竹の根岸の里などと称されたことによる。和歌・歌論・新体詩にはこの号が用いられた。「漱石」は負け惜しみが強い、頑固者、変わり者という意。『筆まかせ』の「雅号」には「漱石は今友人の仮名と変ゼリ」との自注がある(この「友人」が夏目金之助であることはいうまでもない)。

子規の雅号の総計は百種類に及んでいるという(和田茂樹)。号をたくさん持っていること、それは子規という人の特質をあらわすものでもあった。詩人の大岡信は次のようなことを言っている。

正岡子規という人は(中略)変身する欲望とそれから、変身する快感とを知っていました。子規が多産だったということのひとつの理由は、この人がある瞬間に、あることに夢中になっていても、次の瞬間にぱっと別なことに夢中になれるという素質をそなえていたからだと思います。(中略)それはなぜそうなったかと言えば、号をたくさん持っていたということと要するに根源は同じです。この人は、俺は正岡子規である、あるいは正岡升であるとは思っていないのです。現代人はみんな哀れで、俺は誰々だと言って、自分以外の人のことは考えない。ほかの人を押しのけることばかり考えている。ところが、子規はほかの人を一人でも多く押し上げることしか考えていない。これはすごい人です。そういう人はほかにも何人もいます。岡倉天心という人もそうでした。彼らは要するに我を張らない。我を張る必要がない。なぜならば、どんな人にもなれたから、俺は誰々だと自分を限定する必要がなかったのです。そういう人たちが明治のいちばんいい時代を作り出した人たちです。明治文化というのは、そういう人々によって作られました。


子規が自身で撰文した墓誌には「正岡常規マタノ名ハ処之助マタノ名ハ升マタノ名ハ子規マタノ名ハ獺祭書屋主人マタノ名ハ竹ノ里人」云々とある。子規は「マタノ名」を種々使い分けることによって、俳人、歌人、随筆家、文芸評論家、ジャーナリスト……さまざま人間に変身することができたのである。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
大岡信『正岡子規-五つの入口』岩波書店 1995年9月
和田茂樹『人間正岡子規』関奉仕財団 1998年6月

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テーマ : 歴史
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