虚子の小説『俳諧師』-「ハンケチ」の表記

高浜虚子の小説『俳諧師』の冒頭部分に、三津浜港での見送り風景を描いた一節がある。

瀬戸内海の波は静かだ。夢のやうに寄せて音も無く白砂の上を走る。只時々囁く如く聞ゆるのは渚に捨てゝある碇にあたって砕くる波の響きであらう。堅田の浦の汀の石に立って近江の湖を見た時と、三津の浜の捨舟の端に腰打ち掛けて瀬戸内海を眺めた時といづれを湖いづれを海と見定めがつかう。その三津の浜に門司を出た汽船が著く。一日に一度著くこともある。二度著くこともある。艀(はしけ)は旅客と行李を積んで汽船に運ぶ。汽船は其静かな鏡の面に渦を巻いて大阪に向ふ。(中略)
三津の浜の波打際に立ってゐるのは、沖遠き雲の峰に打映えて赤、紫、浅黄の三本の蝙蝠傘、少し離れて大小いろいろの麦藁帽。(中略)勝って帰り給へと帽子を振る。紫、浅黄、赤の三本の蝙蝠傘からも真白き手に各々ハンケチを振る。勝ってお帰りよとハンケチを振る。


帽子やハンカチを振りながらの見送りの風景。ハンカチは上引の文章では「ハンケチ」とある。いま「ハンケチ」などという人はいないと思うが、森鴎外の『青年』や夏目漱石の『坊つちやん』でもハンカチは「ハンケチ」と表記されている。

女学生の中の年上で、痩せた顔の表情のひどく活溌なのが、汽車の大分遠ざかるまで、ハンケチを振って見送ってゐる。 森鴎外『青年』

おれは、ぢれったく成ったから、一番大に弁じてやらうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云ひ出したから、やめにした。見るとパイプを仕舞って、縞のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云って居る。あの手巾(はんけち)は屹度マドンナから巻き上げたに相違ない。男は白い麻を使ふもんだ。 夏目漱石『坊つちやん』


昔は「ハンケチ」というのが一般的だったようで、『日本国語大辞典』の「ハンカチ」の項には、

明治24年(1891)刊の「言海」には「ハンケチ」のみが収録されており、同45年刊の「日用舶来語便覧」では、「ハンカチーフ」の項に、「通常ハンケチと云ふ」とあるなど、明治大正期には、「ハンケチ」の形の方が多かった。


と記載されている。「今でもわたしはハンケチで、ハンカチとは言ったことがない」と、そのエッセーで述べる池田彌三郎(国文学者 1914-1982)の世代が「ハンケチ」の語の最終使用者であろう。

【典拠文献・参考文献】
高浜虚子『俳諧師・続俳諧師』岩波文庫 1952年8月
『鴎外選集』第2巻 岩波書店 1978年12月
『漱石全集』第2巻 岩波書店 1994年1月
池田彌三郎『私の食物誌』岩波書店 1995年6月(初刊 河出書房新社 1965年7月)
『日本国語大辞典 第二版』第11巻(「ハンカチ」の項) 小学館 2001年11月
柴田宵曲『明治風物誌』ちくま学芸文庫 2007年8月

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