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髷(まげ)を結う

幕末の水戸藩下級武士の生活を聞き書きした山川菊栄『武家の女性』(初刊1943年)によると、当時、武士の家で男の髪を結うのは一家の主婦の役割で、これは「力のいる、骨の折れる仕事」であったという。当時の男の髪は鬢つけ油で固めていたから、それをとかすだけでも楽ではなく、さらにそれを「木の棒のように固めて引きのばした上で、元結(もとゆい)で根を強く強くくくり、折りまげてチョン髷に結う」のだから、「始めからしまいまでまるで油で固めた棒と取組むようなもの」であった。年をとって髪が少なくなり、自分の髪で髷を結うことができなくなると、残った髪を鬢つけ油でなで上げて、つけ髷をしたが(髷がないと礼儀にかなわない)、夏場などは鬢つけ油が溶けて、つけ髷がゆるみ取れそうになることもある。山川菊栄の祖父は明治維新後、「つけ髷の苦労のなくなっただけでも、どんなにホッとしたか分からない」と述懐したそうである。当時は、「女も髪を洗うのは盆暮ぐらいなもの」で、男はめったに洗うことはなかったらしい。

【付記】『武家の女性』には、江戸時代の髪について次のような記述がある。

幕府初期の水戸の生活はいたって質素なお粗末なもので、元禄時代までは殿様でも洗い髪に油をつけず、そのまま結ったといいいます。初めて油をつけ出したのが幕府中期のことで、そのころ、ハイカラ息子が流行を追うて髪に固い油をぬるのを見て膏薬をつけていると思った父親があったとか、家来が息子の髪に油を塗ってベタベタ平手で叩くのを見て、無礼者とばかり、斬って捨てようとした親があったとか伝えられるくらい、初めは珍しく、かつ甚だ柔弱な、武士からぬおしゃれと考えられたものですが、太平二百年の後には、油で固めなければ武士の作法に叶わぬように思われていました。
しかし幕末に世の中が騒がしくなるとともにそういう悠長な真似はしていられなくなり、維新前後の志士の肖像や、彰義隊の絵草紙に出ている勇士のように、髪は総髪にして紫のふとい紐で根をくくり、うしろへさげているのがはやるようになりました。それだけ活動に便利なものが要求され、はやりもしたわけなのですが、水戸あたりでは、あの髪は軽薄でキザだといって年寄は嫌いました。



江戸時代、湯屋では洗髪をしなかったらしい。大石学(日本近世史)は「習慣によるものか、湯屋の営業方針からか、江戸時代には湯屋では洗髪をしなかった」と述べている。

【参考文献】
山川菊栄『武家の女性』岩波文庫 1983年4月
『ビジュアル・ワイド 江戸時代館』「別冊 江戸をゆく」小学館 2002年12月

テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

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