三津に黒船が来た日

幕末、文久元年7月23日、三津浜沖に黒船(外国船)が現れた。西暦でいうとこの日は、1861年8月28日(水曜)、149年前の今日である。

七月廿三日 晴天
当夜、黒船三津来、暁出帆、三津、夜ヲねる人、壱人もなし。


三輪田米山(日尾八幡神社神官)は当日の日記にそう記している。黒船の来航は当時、一大事件で、米山の日記には翌日、翌々日とこの黒船の記事がつづいている。

七月廿四日 晴天
三津よりさかなうり来、御役人も御出有之(これあり)、高張弓はり挑灯など大分浜へ出、異人八百人ほどのりこむト云、又三百人ほどとも云、暁出帆の由。
七月廿五日 晴天
三津浜ヘ黒船、碇ヲ下シ候義、如何ノ義ニ有之哉、実否見学ニ行。(中略)夫より船元〆兼帯船奉行、吉田助左衛門殿方ヘ行、(中略)同家ニて承候処、(中略)長崎より来ルよし、水先ノ日本人申ニハ、イギリスノ船、尤バイセンの由、興居島ノ西ヲ通はづニ有之処、潮悪く、ここに来、明未明ニ出帆致間、御気遣間敷ト申。(以下略)


米山の記述によると、三津の浜辺には藩の役人が出動、物々しい警戒態勢がとられていた。黒船の乗員は800人とも300人ともいわれ、情報が錯綜していたようである。結局、判明したところでは、この黒船はイギリスの商船(日記原文の「バイセン」は売船で商船の意)で、興居島の西を通過するはずだったが、潮流がわるく、三津浜沖に停泊しただけであった。幕末、三津浜の町をゆるがした黒船の来航、その真相はイギリス商船の一時的な停泊に過ぎなかった。

【典拠文献・参考文献】
松山市史料集編集委員会編『松山市史料集』第8巻(近世編7) 1984年4月
釣洋一『和洋暦換算事典』新人物往来社 1992年9月

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テーマ : 歴史
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