子規「蛇落つる高石かけの野分哉」の句

蛇落つる高石かけの野分哉


子規、明治25年(1892)秋の句。「高石かけ」は城山の西北麓にあった出城。東西140mにわたって高さ7mの石垣が積まれ、中央部に火除門(三層の櫓門)、西方に西中櫓・西隅櫓、東方に東隅櫓が設けられていた。明治時代には獄舎として使用されたこともあったが、今では山肌にわずかばかりの石垣を残すのみである。掲句については、高浜虚子の『子規句解』に次のような解説がある。

岩波文庫の「子規句集」には「高石がけ」と濁ってゐるが、それは「高石かけ」の校正の誤りである。これは高い石崖といふ意味ではなく、高石かけといふ固有名詞である。松山城は市中に聳え立ってをる可成り高い山の頂きにあるのであって、其城山の北の麓に当って、もと牢獄のあった所を、高石かけと呼んでいた。それは名の示す如く高い石崖があって其上に牢獄があったものであらうか。其語源はともあれ、私達は高石かけと呼んで居た。日の充分当らない陰森たる感じのする場所である。其辺には蛇が多くて、野分の時などは蛇が落ちることがあるといふ句である。


虚子は「高石がけ」と濁音でよむのは誤りであるという(講談社版『子規全集』、和田茂樹「子規俳句選評」は清音で「高石かけ」の表記)。子規には「秋の日の高石懸に落ちにけり」(明治28年)の句もあり、平和通にその句碑があるが、碑陰には「高石懸」に「たかいしがけ」の振り仮名が施されている。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第1巻(俳句1)講談社 1975年12月
高浜虚子『子規句解』(市民双書21)松山市教育委員会文化教育課 1979年3月
大石慎三郎監修『日本歴史地理大系39 愛媛県の地名』平凡社 1980年11月
和田茂樹『人間正岡子規』関奉仕財団 1998年6月
池田洋三『新版 わすれかけの街 松山戦前戦後』愛媛新聞社 2002年6月

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