『坂の上の雲』「子規庵」の章-冒頭の一節

下記は『坂の上の雲』「子規庵」の章の冒頭の一節。

子規は相変らず、根岸の里で病いを養っている。
「世間には古来、大望をいだいたまま死んだ者は多いが、あしほどの大望を抱いて地下に逝く者はあるまい」
と、虚子にこぼしたが、病勢はそのわりには進まず、ただ腰痛がときにはなはだしい。


この一節の鍵括弧内の子規の言葉は、明治29年(1896)3月17日付の高浜虚子宛子規書簡にもとづいて書かれている。同書簡には次のようにある。

世間野心多き者多し 然れども余(わ)レ程野心[注]多きはあらじ 世間大望を抱きたるまゝにて地下に葬らるゝ者多し されども余レ程の大望を抱きて地下に逝く者ハあらじ 余は俳句の上に於てのみ多少野心を漏らしたり されどそれさへも未だ十分ならず 縦(も)し俳句に於て思ふまゝに望を遂げたりともそは余の大望の殆ど無限大なるに比して僅かに零を値するのみ


同年の年頭には「今年はと思ふことなきにしもあらず」という抱負の句を詠んだ子規であったが、その年の3月17日、医師より結核性の脊髄炎との診断をうけ、一驚。同日、虚子に宛てた手紙の中にしたためられていたのが上引の文章であった。

[注]-中村草田男は子規のいう「野心」について次のように解説している。「犀利な頭脳と旺盛な生活力とを併せ恵まれていた子規が、又当然「野心の人」であったことは何の不思議でもない。自由競争期であった当時にあっては「野心」とは、正当な社会態度であり、誇らしき男子の面目であったのだ。(中略)「野心」とは自己実現慾事業達成慾の同義語に過ぎない。(中略)しかるに一朝不幸にも喀血を見るに至って、目的を文学の小世界にのみ限定せざるを得なくなったのである」(「〈子規の俳句観〉印象記」)。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第19巻(書簡2)講談社 1978年1月
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月
司馬遼太郎『坂の上の雲(二)』文春文庫(新装版) 1999年1月
中村草田男『子規、虚子、松山』みすず書房 2002年9月

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テーマ : 雑記
ジャンル : 学問・文化・芸術

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