昔の生活(労働には歌)

明治10年代に来日したアメリカの動物学者E・S・モース(1830-1925)は、その詳細な日本滞在記録『日本その日その日』の中で、日本人の労働作業には歌がともなっていると述べている(下記)。

運河の入口に新しい海堤が築かれつつあった。不思議な人間の杙(くい)打機械があり、何時間見ても興味がつきない。足場は藁縄でくくりつけてある。働いている人達は殆ど裸体に近く、殊に一人の男は、犢鼻褌以外に何も身につけていない。(中略)重い錘(おもり)が長い竿に取りつけてあって、足場の横板に坐る男がこの竿を塩梅(あんばい)し、他の人々は下の錘に結びつけられ、上方の滑車を通っている所の縄を引っ張るのである。(中略)変な、単調な歌が唄われ、一節の終りに揃って縄を引き、そこで突然縄をゆるめるので、錘はドサンと音をさせて墜ちる。すこしも錘をあげる努力をしないで歌を唄うのは、まことに莫迦らしい時間の浪費のように思われた。時間の十分の九は唄歌に費やされるのであった。第1章「一八七七年の日本-横浜と東京」

お寺に近づいた時我々はお経のように響く妙な合唱を耳にして、これは何か宗教上の勤行が行われつつあるのだなと思った。だが、それは、実のところ、労働者が大勢、捲揚機をまわして、建築中の一つの土台に大きな材木をはこんでいるのであった。(中略)裸体の皮膚の赤黒い大工が多人数集って、いささかなりとも曳くことに努力する迄のかなりな時間ンを徒(いたずら)に合唱を怒鳴るばかりである有様は、誠に不思議だった。別の場所では、労働者たちが、二重荷車を引張ったり木梃(てこ)でこじたりしていたが、ここでも彼等が元気よく歌うことは同様で、群を離れて立つ一人が音頭をとり、一同が口をそろえて合唱をすると同時に、一斉的な努力がこのぎこちない代物を六インチばかり動かす……という次第なのである。(中略)例の不気味な音楽は我等の音譜ではどうしても現わし得ない。第3章「日光の諸寺院と山の村落」

然し、男達が仕事をしながら歌う声は、余程自然的で心から出るように思われる。そして、我々が過日橋石で知った所によると、彼等はこの種の唱歌を事実練習するのである。(中略)歌のある箇所に来ると、二十人、三十人の労働者達が一生懸命になって、一斉に引く準備をしてりう光景は、誠に興味がある。ちょっとでも動いたり努力したりする迄に、一分間、あるいはそれ以上の時間歌を歌うことは、我々には非常な時の浪費であるかの如く思われる。第4章「再び東京へ」

舟の艫(とも)に坐って、船頭四人がいい機嫌で笑いながら調子をそろえて前後に動き、妙な歌を唄って力強く艪を押すのを見ることは実に新奇であった。第6章「漁村の生活」

私の家の後に、天文観測所が建てられつつある。その基礎のセメントをたたき込むのに、八人か十人の男が足場に立ち、各々重い錘に結びついた縄を、一本ずつ手に持っている。彼等はこれを引張り上げ、それからドサンと落すのだが、それをやる途中、恐ろしく気味の悪い一種の歌を歌う為に、手を休める。私は去年日光で、同じものを聞いた。これはチャンときまった歌であるに違いないが、如何に鋭い耳でも、二つの連続した音調を覚え込むことは出来ない。第11章「六ケ月後の東京」

舟によっては、片舷に六、七人漕手がいるものもあり、これ等の人々が口々に歌う奇妙な船唄が、水面を越して来るのを聞くと、非常に気持がよい。第12章「北方の島 蝦夷」

鉄道軌道を歩いている内に我々は、日本の労働者が地ならしをするのに、シャベルや鉄棒の一振りごとに歌を歌うことを観察した。日本人はどんな仕事をするのにも歌うらしく見える。第16章「日本の一(ひ)と冬」

神戸では窓から数名の労働者が杙(くい)を打ち込んでいるのを見た。(中略)下にいる二人は、打ち込まるべき杙を支え、その方向をきめる。その一人が短い歌を歌うと、足代の上にいる者達は僅に身体を振り動かし、槌をすこし持ち上げることによって、一種の振れるような拍子を取り、次に合唄(コーラス)に加わり、それが終ると三、四回杙を叩き、次いで下にいる男がまた歌を始める。歌は「何故こんなに固いのか」「もうすこし打てば杙が入る」「もうすぐだ」というような、質問、あるいは元気をつけるような文句で出来ている。この時数回続けて、素早く叩き下す。上にいる男達はしばしば独唱家の変な言葉に哄笑し、一同愉快そうに、ニコニコしながら働く。第22章「京都及びその附近に於る陶器さがし」


モースが来日した頃の日本人の労働作業のなかには歌があった。人びとは歌うことによって、共同作業にリズムをつくり、過酷な労働を歌によって明るいものにしようとした。民俗学者の宮本常一は昔の人びとの生活に明るさがあったことに言及して、「仕事に追いまくられながらも昔の人たちはどことなく、のどかであり、かつ明るさがあったと思います。けっして昔の生活がいまよりゆたかであったというのではありませんが、どこかのどかなものがありました。それは何故だったのでしょうか。それにはその生活のなかに二つの重要な生活を明るくする要素を持っていました。一つは時間にとらわれないこと、いま一つは労作業のなかに歌を持っていたことだと思うのです」(『女の民俗誌』)と述べ、歌が生活を明るくする重要な要素であったと指摘している。

【典拠文献・参考文献】
E・S・モース 石川欣一訳『日本その日その日1』平凡社東洋文庫 1970年9月
E・S・モース 石川欣一訳『日本その日その日2』平凡社東洋文庫 1970年10月
E・S・モース 石川欣一訳『日本その日その日3』平凡社東洋文庫 1971年1月
宮本常一『女の民俗誌』岩波現代文庫 2001年9月

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード