三津の旧苅屋町-石鎚不動尊堂

三津の旧苅屋町(現在の神田町の一部)の高層マンションに隣接して不動明王の祠堂がある。毎年、石鎚山の「お山開き」が近づくと、この祀堂には「石鎚不動明王」と記した幟旗が立てられる。1960年発行の『三津浜誌稿』に「苅屋町にはお不動様と、すぐ南に地蔵様が祀られている。不動様は小深里の不動明王の分祀であろうと思われる」、「木地屋市左衛門が京都から西下し霊場石鎚を開山し、第一番のエフを苅屋堀川にあたえた話は又由緒深いものであるが、詳細を省くことにしたい。しかしエフに菊の紋があり、番外一から十のエフとは違っていることと、石鎚が火災に罹り本尊が紛失した時、後年三津から拝見(注-原文のまま)された事を附記し、石鎚様に関しては観月庵にそのエフ及び書類が、収集されていると聞いている」とあるのが、この祀堂にかかわる記述だと思われるが、なんだか要領を得ない。この祀堂に関しては、県生涯学習センターのサイト内にあった『えひめ地域学のすすめ』「臨海都市圏の生活文化」(平成7年度)の記述が参考になった。これによると、安永8年(1779)に石鎚山の登拝者用の鎖が切れ、翌年、苅屋町の木地屋市左衛門らが新しい鎖を寄進。この寄進により石鎚山別当寺(管理する寺)の前神寺より「会符(えふ)第一番」(木製の鑑札)なるものが苅屋町に与えられた。これ以来、苅屋町の人々がこの「会符第一番」を先頭に石鎚参りをしており、こうした因縁で、同町に石鎚山の不動明王を祀る石鎚不動尊堂が建てられることになったという(現在の建物は昭和41年の改築)。石鎚信仰は古くより広範囲に伝播しているが、この苅屋町の不動尊堂も石鎚信仰のその伝播の跡を物語るものであった。なお、この苅屋町、江戸時代から明治の終わりごろまでは古三津村の一部で、古三津村苅屋と呼ばれていた。

【参考文献】
三津浜郷土史研究会編『三津浜誌稿』1960年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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