明治時代の松山の商家

正岡子規の「東京松山比較表」(『筆まかせ』明治22年の部「松山会」所収)に「東京ホテル 木戸屋」「八百松 中よし」「八百膳 花廼舎」「無極庵 うどん亀屋」「大丸 米周」「越後屋 米藤」「白木屋 しほや」「いろは 村井」という対比がある。この対比の各項目の後者(「木戸屋」等)はいずれも当時の松山にあった商家の名称である。明治時代の松山の商家-ここではまずこれらの商家について一瞥することにしよう。以下、主に下記①②③の史料によって述べることにする。
①「明治十七年十一月新起 松山市街玉尽独案内(-たまづくしひとりあんない)」(「松山百点」1996年新春号に写真掲載)
②「松山街三津街諸用案内記」(明治19年4月刊、神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)
③「商工案内松山名所普通便覧」(明治27年10月刊、近代デジタルライブラリー)

「木戸屋」は①に「宿屋 三バン丁 城戸屋」、②に「宿屋 三番町 城戸岩城」、③に「宿屋業 各国御旅館 松山市三番町 城戸シケヤ」として出る。夏目漱石が松山に赴任したとき最初に宿泊した旅館がこの城戸屋である(『坊つちやん』に出る「山城屋」のモデル)。現在は旅館としての営業はしていない。

「中よし」は②に「仕出シ料理 湊町二丁目 魚ノ棚傍 中芳」として出る。

「花廼舎」は①に「会席料理 大カイド 花のや」、②に「会席料理 大街道 花廼屋」として出る。明治28年(1895)10月12日、この花廼舎で子規帰京に際しての送別会が開かれた。子規の『病余漫吟』には「明治二十八年十月十二日松風会諸子余のために祖莚(注-送別会)を花廼舎に開く。競吟終り酒めぐる事三行戯れに坐中諸子の雅名を読み込みて俳句十有七首を得たり」とある。柳原極堂はこの送別会を十月十七日のこととし、「松風会員は申合して十七日の午後に二番町の花廼家といふ料亭で送別会を催すことにした。花廼家は梅の家の東隣で大きな黒門のある家であった」(『友人子規』)と記述している。

「うどん亀屋」は①に「麺類 ウヲノタナ 亀松」、②に「麺類 魚ノ棚傍 亀屋」として出る。「魚ノ棚」は大街道と湊町の接点にあたるところ。「亀屋」はもとこの魚ノ棚にあって、のち北の方の大街道筋に移転、木造3階建ての建物となった。その高い煙突は名物となっていたという。

「米周」は①に「呉服唐反物 ミナト四 〓長阪」、②に「呉服唐反物 湊町四丁目 長坂周次郎」、③に「和洋 呉服太物商 〓 国産伊予縞纃 松山市湊町 長坂周次郎」として出る。「米周」の初代は寛永12年(1635)に松平定行が伊勢桑名から松山に国替えになったとき、ともにかの地から移って来た。「米周」の屋号は10代目の周助が米の仲買商をしたことによるという。「米周」の名は現在ビル名として残っている。〓は〇に米の印。

「米藤」は①に「呉服唐反物 ミナト四 〓世良」、②に「呉服唐反物 湊町四丁目 世良藤蔵」、③に「和洋 呉服太物商 〓 国産伊予縞纃 松山市湊町 世良藤蔵」として出る。この「米藤」は米周の東隣にあった。〓は口に古の印。

「しほや」は現在の塩屋呉服店である。創業文政2年(1819)。①に「呉服 ミナト三 〓吉田」、②に「呉服唐反物 湊町三丁目 吉田十一郎」、③に「確実 〓 正札 呉服太物商 京都染物直取次 松山市湊町三丁目 志をや事 吉田重兵衛支廛」として出る。「廛」は「店」の当て字。〓は井ゲタに志の印。

「村井」は①に「牛肉 大カイド 村井」、②に「牛肉売捌 大街道 村井本店」として出る。

以上、子規の「東京松山比較表」に出る松山の商家について史料に出るところを紹介した。次に同じ要領で、大和屋、五色そうめん森川、薄墨羊羹の中野本舗、面光屋についてもふれておくことにしたい。

大和屋は子規がよく本を借りにいったという貸本屋で出版業も兼ねていた。①に「書林 ミナト三 大和屋」「貸本 ミナト三 大和屋」、②に「書林 外ニ貸本品々 湊町三丁目 土肥與平」として出る。

寛永12年(1635)創業の五色そうめん森川は①に「素麺 三バン丁 小西」、②に「上等素麺製造 三番町 小西久次郎」、③に「青山御所御用 御素麺調達所 〓松山名産五色素麺 伊予松山市三番町 本家製造所 小西商店」として出る。森川は代替わりのときに小西姓を名のったこともあった。〓は口に古の印。

薄墨羊羹の中野本舗は①に「菓子風流砂糖漬 ミナト四 中野」、②に「干製上菓子 風流砂糖諸品々 湊町四丁目 中野喜十郎」、③に「菓子商 褒状拝受 三番町 中野喜十郎」として出る。

面光屋は日野姓の面打ち師。①に「神形仏師 ミナト二 面光」、②に「印判彫刻 湊町二丁目 面光」として出る。県指定の有形民俗文化財「伊予源之丞人形頭衣装道具一式」の中には面光作の人形頭5点が含まれている。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第21巻(草稿 ノート)講談社 1976年11月
「明治初めの松山の商家一覧」(「松山百点」vol.187 1996年新春号)
池田洋三『新版 わすれかけの街 松山戦前戦後』愛媛新聞社 2002年6月

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「きどや旅館」跡


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米周ビル

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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