三津の商家(幕末)

CIMG2585_convert_20110617114926.jpg

三津厳島神社(神田町)の石造玉垣には、幕末、万延元年(1860)の造立部分がある(正面の過半。玉垣横の石柱碑に「玉垣 世話人 乗松勘蔵 岩城金蔵 岡田甚蔵 松本伴次 岡田徳助 田中伊太郎 石工吉村右太郎 万延元申九月吉日」とあることによって、万延元年(同年の干支=庚申)の造立であることがわかる。玉垣の銘に「三津浜国防婦人会」等とある部分(正面東側)は昭和前期の造立であろう)。この万延元年の部分は、造立年代が明確であること、刻まれている銘(寄進者の名)によって、当時の三津の状況が窺い知られることなどから、文化財(市指定クラスの~)としての価値も十分あるように思われる。以下、この部分に刻まれている寄進者名の中から、商家の名称と思われるものを抜き出し、列示してみることにしよう。当時の三津町内にあった大店(おおだな)・問屋のほとんどをこれによって知ることができるのではないかと思う。なお、この玉垣の万延元年造立部分は自身の重みで下部が地中に沈下している。以下に示す名称の多くが「高田屋庄」「大林屋徳」といったように、途中で切れているのはそれ以下の文字を刻んだ部分が地中に埋没していて判読のしようがないためである。この点、あらかじめご了解いただきたい。

高田屋庄 萬問屋 生魚 高田屋庄 大林屋徳 加賀屋庄兵 油屋保次 三好屋利右衛 当町向井氏 松本屋吉次 利屋平九 大坂屋平次兵 吉田屋嘉兵衛 こめや 堀江屋萬助 後藤屋貞助 名田屋惣三郎 白石屋次兵衛 怒和屋孫市 松屋作左衛門 苫屋乙七 苫屋三郎右衛 冨士屋久之 当町門田屋酒店 海老屋七郎右衛 古屋梅太郎 辻屋次右衛 古泉屋銀 立石弥十 木原屋兵 〓屋常次郎 門田屋治左衛門 加賀屋藤五郎 天野屋政 三津屋利兵 梅野屋喜 宇和屋千代蔵 夷子屋金 若林屋久兵衛 同 向井氏 黒星 米屋多十 三津屋七兵 加賀屋荘兵 和気屋久左衛 魚屋八郎兵衛 中屋源助 丸屋新右衛門 利屋捨八 同 向井氏 嶋屋喜左衛 小松屋甚六 三文字屋新七 三津屋清七 永木屋松蔵 米屋元八郎 米屋冨三郎 中嶋屋治兵衛 久田松屋梅次 木地屋荘兵衛 岡田屋多十郎 苫屋喜吉 今田屋佐兵次 天野屋半兵衛 久米屋多四郎 戎屋元兵衛 嶋屋治兵衛 和気屋弥太郎 米屋貞次 油屋〓助 山津屋安次郎 茶屋市太郎 川崎屋儀右衛門 和泉屋市右衛門 天野屋儀兵 中屋與五右衛門 山西屋利左衛門 冨久屋嘉蔵 三津屋次兵衛 三津屋又次兵衛 武蔵屋常次 門屋亀次郎 紙屋嘉助 湊屋安蔵 上野屋安左衛門 江戸屋甚九郎 山崎屋 児嶋屋卓次 宇和屋六兵衛 和泉屋音蔵 久田松屋助七 紙屋文次 三津屋庄五郎 久田松屋安左衛門 松前屋佐市 (〓は磨滅等のため判読不能の文字)


これらの中には、「三津町役人名録」(ブログ6月5日記事)に名の出る商家の名称を多数認めることができる。玉垣の万延元年造立部分にはほかにも「御船手中」の文字や古三津村の豪農の名を刻んだものがある。船手は藩の水軍で、その基地が三津の北端(御船場)にあった。江戸時代の三津浜は大店・問屋が櫛比する商業の町であると同時に、この船手が住まう基地の町でもあったのである。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村




テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード