「娘にこの小説を読ませたい」-漱石、長塚節の『土』を推奨する

夏目漱石は長塚節(子規の門人でもある)の小説『土』を読んでいたく感動し、同作に寄せた序文の中で、「余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募る時分になったら、余は是非この『土』を読ましたいと思っている。娘はきっと厭だというに違いない。より多くの興味を感ずる恋愛小説と取り換えてくれというに違いない。けれども余はその時娘に向って、面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたいと思っている。参考の為だから、世間を知る為だから、知って己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる為だから我慢して読めと忠告したいと思っている。何も考えずに暖かく生長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心や宗教心は、皆この暗い影の奥から射して来るのだと余は固く信じているからである」と述べている。

娘にこの小説を読ませたいといった漱石であるが、夫人の鏡子によると、漱石は自分の娘が小説を読むのをひどく嫌っていたそうである。漱石夫人の証言を引いておこう。「長塚さんの「土」には大層感心した様子で、序文を書いたりして居る位ですが、其中に自分の娘に是非この小説を読ますなどゝいふことが書いてあります。が元来娘たちに小説をよませるのは大嫌いで、殆ど厳禁の形でありました。といふのは、第一生半可な文学話などをやられては堪らないといふのと、それが昂じて、よく女流の作家で家へいらしたりなどする方のやうになられちやかなはないと口癖のやうに申しまして、娘が小説を読むのをひどく嫌って居りました。そんなわけで自分のの人のの区別なしに、後になっても大きな娘達には全く小説を読ませないといってよい位でした」。この件に関する漱石夫人の証言は偽りではないように思われる。

漱石が長塚節に会ったとき、漱石は『土』の中に描かれたことは全部本当かと尋ねたそうである。長塚は本当ですと答えた。終わりのところの火事の場面も本当かと尋ねると、あそこだけは嘘ですと答えたそうである。火事の場面はこの長い小説になんとか結末をつけるためのものであった。漱石の作家としての鋭い眼は小説のそうした手法上の作為の跡をさすがに見逃しはしなかった。

【典拠文献・参考文献】
長塚節『土』新潮文庫(改版) 1967年12月
夏目鏡子『漱石の思ひ出』(改版)岩波書店 2003年10月
柴田宵曲『明治風物誌』ちくま学芸文庫 2007年8月

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テーマ : 歴史
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