宮前川

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宮前川は岩堰付近を水源とし、市内を流れて三津浜港に注ぐ全長10kmほどの二級河川。三津ではこの川を「祓川」「堀川」などと呼んでいたのであろうか、『三津浜誌稿』(1960年発行)の記述中には、「祓川(宮前川)」の文言があり、森元四郎の小文「私の宮前川」には、「三津の人は、この川を「堀川」と言いあっている」とある。

佐々木忍著『松山有情』(1978年刊)には、子どものころから宮前川の河口付近で遊び育ったという三津の古老(当時77歳)の次のような思い出話が紹介されている。「とにかくきれいな川底だったなあ。白い砂が一面にあって、干潮時には太陽の光がなぎさに反射して、それはきれかったですわい。砂の中にクルマエビが潜っとるんを、よう手さぐりでつかまえよった。チヌやタイ、ギゾ、カレイなんかがようおりよりました。住吉橋の下は深くてなあ、夏なんかは橋の上から飛び込んで遊んだもんよ。裸でおったらケイサツが追わえてくるんで、川の中をよう逃げよったわい」云々。宮前川の河口付近が「とにかくきれいな川底だった」のは今から百年も前の話である。

『三津浜誌稿』には、宮前川についての次のような記述がある。「昭和六年頃、松山が下水を祓川(宮前川)に流し、三津浜は松山八万の人口の下水の臭をかぐこととなり、当時の新聞にも残っているが、三津町民の憤懣やるせなく、万一を恐れ抗議をした文面は実に宿敵松山市打倒の声、天を衝く感がある。松山市又これ狸寝入して、柳に風と知らぬふりに、三津町民烈火の如く怒り、まさに一騒動起りそうな気配であった」。この記述にある昭和6年(1931)当時、三津浜は独立した町(温泉郡三津浜町)であった。三津浜町が「宿敵」(?)松山市に編入されたのは昭和15年(1940)である。

【参考文献】
三津浜郷土史研究会編『三津浜誌稿』1960年12月
佐々木忍『松山有情』愛媛県教科図書株式会社 1978年5月
森元四郎「私の宮前川」(「文化愛媛」29号 1992年3月)





テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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