武知五友

武知五友(1816-1893)はもと松山藩の漢学者。『愛媛県史 人物』によると、郷里松山では近藤逸翁、日下伯巌などに師事、のち江戸に上って昌平黌に入り、帰藩後、大小姓となって藩校明教館で朱子学を講じた。維新後は上高柳村、三津、郡中などで私塾を開いたという。書画にすぐれており、正岡子規は少年時代、五友の書を手本として習字に励んだ。子規の勉強部屋に掲げられていた「香雲」の扁額は五友の筆になるものである。

『維新前寺子屋・手習師匠・郷学校・私学校の調査』や『三津浜誌稿』によると、五友が三津で開いていたという私塾は三津の梅田町にあったらしいが、それ以上のことはわからない。明治初期の松山の商家の一覧ともいうべき「明治十七年十一月新起 松山市街玉尽独案内(-たまつくしひとりあんない)」の「書」の欄には「マサキ一 武智」との記載があるが、五友との同異は不明である。なお、このカタカナ表記の「マサキ」は城下西の松前町。魚町(本町の西側裏通)に平行してその西側を南北に通る町筋である。

[諸書では五友の姓を「武智」としているが、谷光隆『考証 子規と松山』によると、「武知」が正しいらしい。]

【参考文献】
愛媛県『維新前寺子屋・手習師匠・郷学校・私学校の調査(2)』 1936年
三津浜郷土史研究会編『三津浜誌稿』1960年12月
大石慎三郎監修『日本歴史地理大系39 愛媛県の地名』平凡社 1980年11月
愛媛県史編纂委員会『愛媛県史 人物』1989年2月
「明治初めの松山の商家一覧」(「松山百点」vol.187 1996年陽春号)
谷光隆『考証 子規と松山』シード書房 2005年6月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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