蘇山人(1)

「行春(ゆくはる)の富士も拝まんわかれかな」-明治33年(1900)晩春、蘇山人の句。蘇山人は本名羅朝斌(らちょうひん)、明治14年長崎生まれの清国人である(父羅庚齢、母小島氏)。俳句の指導を子規に受け、虚子や碧梧桐とも交流があった。子規庵に出入りした唯一の外国人である(明治32年2月12日、子規庵句会に初参加)。「行春の~」の句を残して帰国したが、胸疾を得たため、来日して療養、同35年3月24日、東京赤坂の寓居で死去した。享年二十二。俳句四百、漢詩百首を残す。子規の追悼句、「陽炎(かげろう)や日本の土に殯(かりもがり)」「蝶飛ぶや蘇山人の魂(たま)遊ぶらん」、虚子の追悼句、「春雨や唐撫子(からなでしこ)の死を惜む」。蘇山人が子規の手もとに残した画帖は、のちに子規の「菓物帖」となった。子規の「明治三十三年十月十五日記事」には、「きのふ蘇山人に貰ひたる支那土産の小筆二本と香嚢とを出させて怪庵に示す」云々という記述もある。蘇山人の句には前記の他に、「砧打つ向ひは秦淮の酒屋かな」「鱸買はん呉人の杖に蜻蛉かな」「初汐や楚客船頭何語る」などがある。

【典拠文献・参考文献】
柴田宵曲『子規居士の周囲』六甲書房 1943年9月
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月
中村忠行「辮髪の俳人蘇山人」(『子規全集』第16巻「月報」5 1975年8月)
秋庭太郎『考証永井荷風(上)』岩波現代文庫 2010年5月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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