昭和後期、松山の映画館

昭和後期、松山にあった映画館。

「松山オリオン劇場」(花園町1丁目) 昭和25年(1950)10月、OS系封切館(ロードショー館)としてオープン(4階建)。同48年(1973)5月閉館。現在、日本生命松山市駅前ビル。

「松山スバル座」(大街道2丁目) 昭和35年(1960)8月、「オリオン劇場」2階にオープン。「オリオン劇場」とともにOSの冠がつく。同48年6月に大街道2丁目(現在、無印良品がある建物か)に移転。平成2年(1990)1月閉館。

「大劇」(柳井町2丁目) 昭和32年(1957)4月、洋画三番館としてオープン。のちOS系の封切館(松山スバル座の姉妹館)となる。新装オープン時、Daigekiと改称。昭和53年(1978)11月閉館。

「松山グランド劇場」(千舟町2丁目) 昭和24年(1949)12月開館。「東映グランド」「松山東映」などと改称。同61年(1986)末閉館。現在、ベスト電器松山本店。

「タイガー劇場」(大街道1丁目) 前身は「白鳥館」。昭和27年(1952)5月、「タイガー劇場」となる。「東宝タイガー」「洋画のタイガー」「松竹タイガー」などと劇場名がたびたび変更。同61年(1986)末閉館。現在、シネマサンシャイン大街道。

「国際劇場」(三番町3丁目) もとは芝居小屋(「白川座」→「寿座」→「国伎座」と名称変遷)。昭和22年(1947)9月、洋画封切館となる。翌年5月、「東宝国際」と改称。同53年(1978)12月、四つのホールをもつシネマコンプレックスとなる。同60年(1985)12月、「松山シネマサンシャイン」と改称。平成15年(2003)年5月閉館。跡地は現在、駐車場。

「銀映」(三番町2丁目) 松山で最初の洋画二番館として、昭和25年(1950)12月にオープン。同44年(1969)11月、佰味ビルの1階に移転。経営者は「佰味」(釜飯・瀬戸内料理)の経営者と同じ。同55年(1980)年末、封切館として再出発するが、同58年(1983)1月閉館。「松山で最も愛された映画館」(おかひろし「映画館は滅びず」『松山百点』vol.254)との評。現在、チェックイン松山。

松山の映画館は上記以外にもあった(昭和30年代のはじめ、松山には30を超える映画館があり、人口比では全国1、2位の乱立状態であったという)。三津にも「永楽座」「電気館」「柳勢座」などの映画館があったが、これについては他日記すことにしよう。

【参考文献】
池田洋三『新版 わすれかけの街 松山戦前・戦後』愛媛新聞社 2002年6月
おかひろし「映画館は滅びず」『松山百点』vol.246(2006年新春号)~257(2007年霜月号)

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テーマ : 歴史
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