月代(さかやき)

「月代(さかやき)」は額から頭頂部にかけての髪を剃り落とすこと、および剃った形。時代劇でおなじみの風俗だが、伊勢流武家故実家の伊勢貞丈(1717-1784)は「さかやき」ではなく「さかいき」が正しいとし、次のように述べている。

月代を剃る事、京都将軍(注-足利幕府の将軍)の比(ころ)まではなし。皆総髪なり。(中略)古は、常に月代剃りたるにあらず、久しく打ちつづきたる合戦の時、常にかぶとをかぶり気のぼせて煩う事あるによりて、頭の上を丸く中ぞりをしけるなり。その形月の如く丸く白くなる故つきしろと云いしなり。月白と書くべきを今は月代と書くなり。つきしろの事をさかいきを云うは、気さかさまにのぼせるゆえ、さかさまにのぼするいきをぬく為に髪をそりたる故さかいきというなり。さかやきというはあやまりなり。
扨(さて)右のごとく合戦の間は月代をそれども、軍(いくさ)やめば又本のごとく総髪になるなり。天正・文禄年中などの比、天下大いにみだれ、信玄・謙信などその外諸大将、合戦数年打続きたるゆえ常に月代そる事絶えずして、その後太平の世になりてもその時の風儀やまずして、今日に至るまで月代そる事になりたるなり。今とても、公家には昔の如く月代そり給うことなし。『貞丈雑記』「人物の部」


戦時に武士が兜を着用する際、のぼせるのを防ぐために頭頂部を中剃りしたのが「月代」の始まりであるという。『国史大辞典』「月代」の項には、「わが国で露頂の風俗が行われたのは応仁の乱以後で、当時は頭髪を毛抜で抜き[注]、天正前後から武家をはじめ一般庶民の間で月代を剃る職業が生まれ、一銭剃・一銭職といわれた」などとある。兜着用の際の武士の戦時非常の措置が慣習化し、成人男性の身だしなみとなったのが「月代」であるといえるであろうか。江戸時代には、公家・医者・山伏など一部の例外を除く、成人男性の風儀としてこれが一般化した。幕末になると、国事に奔走する者たちなどは、総髪で髷を結うだけの風儀や、講武所風と呼ばれる剃り幅の狭い髪型(新選組の沖田総司風)を好んでおこなうようになった。時代劇でこうした髪型が登場すると、いかにも幕末といった雰囲気になる。

[注]-信長の時代に来日したポルトガル人宣教師ルイス・フロイス(1532-1597)は、「われわれの間では男たちは髪を刈っており、禿頭にされると侮辱されたと考える。日本人は毛抜を用いて、自分で、毛の残らないように、全部抜いてしまう。そのことは苦痛と涙を伴う」と述べている。

【典拠文献・参考文献】
伊勢貞丈・島田勇雄校注『貞丈雑記1』平凡社東洋文庫 1985年4月
『国史大辞典』第6巻(遠藤武執筆「月代」の項) 吉川弘文館 1985年11月
ルイス・フロイス 岡田章雄校注『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波文庫 1991年6月
林美一『時代風俗考証事典』(新装新版) 河出書房新社 1999年1月
ロナルド・トビ『日本の歴史9 「鎖国」という外交』小学館 2008年8月

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