西本願寺と新選組

新選組(新撰組)の屯所は一時期、西本願寺内におかれていたことがある。寺内の北集会所、太鼓楼が屯所として使われたというが、捕縛者が連れ込まれたり、切腹や処刑が行われたりするなど、刑場のようなありさまで、「実ニ極楽ニ地獄ヲ合併シタルガ如シ」(西村兼文『新撰組始末記』)であったという。西本願寺はこれに困惑し、寺の東南の不動堂村に土地を確保して、美麗を尽した邸宅を建て、移転を要請した。新選組が不動堂村の新屯所に移ったときは、「疫病神ヲ送リ出シタル心地シテ門主及ビ一家ノ歓喜カギリナシ」(同上)であったという。

その西本願寺と新選組隊士の後日談。新選組に所属していた島田魁(1828-1900)は維新後、京都下京で剣術道場を経営していたが、明治19年(1886)頃から、西本願寺の夜間警備員をつとめるようになった。島田の前歴を西本願寺側が知らなかったはずはないと思うが、死去当日まで同寺に勤務した。島田が死亡したのは明治33年(1900)3月20日。夜警勤務中、西本願寺境内での死であった。

【参考文献】
松浦玲『新選組』岩波新書 2003年9月
古賀茂作・鈴木亨編著『「新撰組」全隊士録』講談社 2003年11月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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