越後の笹飴

漱石の『坊つちやん』に「越後の笹飴」というのが出るのを記憶しておられる方は多いであろう。「越後の笹飴」は越後高田の高橋孫左衛門が考案した粟飴を練って笹の葉にはさんだもの。『坊つちやん』の中では、「越後の笹飴」は次のように言及されている。

夫(それ)でも妙な顔をして居るから「何を見やげに買って来てやらう、何が欲しい」と聞いて見たら、「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違ふ。「おれの行く田舎には笹飴はなさゝうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。

うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食って居る。笹は毒だから、よしたらよからうと云ふと、いえ此笹が御薬で御座いますと云って旨さうに食って居る。おれがあきれ返って大きな口を開いてハヽヽヽと笑ったら眼が覚めた。


漱石が『坊つちやん』を書いたのは明治39年(1906)。同43年11月5日の漱石の日記には、「森成さんが越後の笹飴をくれる。雅なものなれど旨からず」とあるから、『坊つちやん』を書いた時点では、漱石は「越後の笹飴」を食べたことはなかったようである。「森成さん」というのは、漱石が修善寺で倒れたときの担当医だった森成麟造(1884-1955)。その郷里が新潟県高田であったことから、「越後の笹飴」や「越後の笹餅」などを漱石に贈っていた。森成麟造に宛てた漱石の礼状には、「笹飴は私はたった一つしか食べません。あとはみんな小供が食べてしまひました。さうして笹を座敷中へ散らばしていやはや大変な有様です」(大正2年1月12日付)、「越後の笹餅といふものは始めてゞす。あのまゝ一つ食べました。夫(それ)から砂糖をつけて二つ食べました。あとは家のものがみんな食べました。ありがたう御座います。大して美味とは思はれませんが珍奇なものには相違ありません。夫(それ)から越後からきたのだから猶(なお)うまいのでせう」(大正3年6月25日付)といった極めて率直な感想が述べられている。

【典拠文献・参考文献】
『漱石全集』第2巻 岩波書店 1994年1月
『漱石全集』第20巻 岩波書店 1996年7月
『漱石全集』第24巻 岩波書店 1997年2月
牛嶋英俊『飴と飴売りの文化史』弦書房 2005年5月
柴田宵曲(小出昌洋編)『漱石覚え書』中公文庫 2009年9月

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