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国木田独歩『忘れえぬ人々』-三津浜の描写

国木田独歩(1871-1908)の短編小説『忘れえぬ人々』(明治31年4月雑誌「国民之友」発表)に三津浜を描いた場面がある。多摩川の西岸、溝口(川崎市高津区)の宿屋の状景から始まるこの作品は、大津という無名作家が、偶然、泊まり合わせた秋山という無名画家に、「忘れえぬ人々」と題する大津の未定稿の小説の内容を語り聞かせるというもの。ここでいわれている忘れえぬ人々とは、「恩愛の契りもなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、本来をいうと忘れてしまったところで人情をも義理をも欠かないで、しかもついに忘れてしまうことのできない人」のことである。たまたま見かけただけに過ぎないが、大津にとっては忘れえぬ人々、三津浜で見かけたある人物もその忘れえぬ人々の一人であった。小説の本文を以下に引く。

その次は四国の三津ケ浜に一泊して汽船便を待った時のことであった。夏の初めと記憶しているが僕は朝早く旅宿を出て汽船の来るのは午後と聞いたのでこの港の浜や町を散歩した。奥に松山を控えているだけこの港の繁盛は格別で、わけても朝は魚市が立つので魚市場の近傍の雑沓は非常なものであった。大空は名残なく晴れて朝日麗らかに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑沓の光景をさらににぎにぎしくしていた。叫ぶもの呼ぶもの、笑声嬉々としてここに起これば、歓呼怒罵乱れてかしこに湧くという有様で、売るもの買うもの、老若男女、いずれも忙しそうに面白そうに嬉しそうに、駈けたり追ったりしている。露店が並んで立食いの客を待っている。売っている品は言わずもがなで、喰ってる人は大概船頭船方の類にきまっている。鯛や比良目(ひらめ)や海鰻(あなご)や章魚(たこ)がそこらに投げ出してある。腥(なまぐさ)い臭が人々の立ち騒ぐ袖や裾に煽られて鼻を打つ。
僕は全くの旅客でこの土地には縁もゆかりもない身だから、知る顔もなければ見覚えの禿頭もない。そこで何となくこれらの光景が異様な感を起こさせて、世のさまを一段鮮かに眺めるような心地がした。僕はほとんど自己(おのれ)を忘れてこの雑沓のうちをぶらぶらと歩き、やや物静かなる街(ちまた)の一端(はし)に出た。
するとすぐ僕の耳に入ったのは琵琶の音であった。そこの店先に一人の琵琶僧が立っていた。歳のころ四十を五ツ六ツも越えたらしく、幅の広い四角な顔の丈(たけ)の低い肥満(こえ)た漢子(おとこ)であった。その顔の色、その眼の光はちょうど悲しげな琵琶の音に相応(ふさわ)しく、あの咽ぶような糸の音につれて謡(うた)う声が沈んで濁って淀んでいた。巷の人は一人もこの僧を顧みない、家々の者は誰もこの琵琶に耳を傾ける風も見せない。朝日は輝く浮世は忙(せ)わしい。
しかし僕はじっとこの琵琶僧を眺めて、その琵琶の音に耳を傾けた。この道幅の狭い軒端(のきば)の揃わない、しかも忙しそうな巷の光景がこの琵琶僧とこの琵琶の音とに調和しないようでしかもどこかに深い約束があるように感じられた。あの嗚咽する琵琶の音が巷の軒から軒へと漂うて勇ましげな売声や、かしましい鉄砧(かなしき)の音にまざって、別に一道の清泉が濁波の間を潜(く)ぐって流れるようなのを聞いていると、嬉しそうな、浮き浮きした、面白そうな、忙しそうな顔つきをしている巷の人々の心の底の糸が自然の調べをかなでているように思われた。『忘れえぬ人々』の一人はすなわちこの琵琶僧である。


独歩は大分県佐伯の鶴谷学館の教師の職を辞して、山口県柳井の両親の家に向かう途中、三津浜に立ち寄った(明治27年8月2日)。小説の上記の部分にはこのときの体験が活かされていると見ていいだろう。国木田独歩、本名は哲夫、その作品には孤独な人間を見つめるあたたかい眼差しがあるといわれている。

【典拠文献・参考文献】
『現代日本文学館2 二葉亭四迷・国木田独歩』文藝春秋 1968年12月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 文学』 1984年3月


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テーマ : 歴史
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