鯉のぼり

端午の節句に鯉のぼりを立てるのは、正岡子規の青年期頃にはじまった習俗であるらしい。子規が子どもの頃には、鯉のぼりではなく、ただの吹き流し、もしくは鐘馗(厄病退散の神)を描いたのぼりなどが立てられていた。子規は次のように述べている。

余が出京後著しく変りしこと二あり。(中略)又一は五月の鯉也。松山にても昔は吹き流しなど立てし処もありしかど、余が覚えて以来殆どなきといふても宜し位也。幟(のぼり)さへも二三軒位立てたりしのみ。然るに此頃に至ては五月の節句には子供のある家には鯉を立てぬ家なしと、いつの間にこんな風になるものか、実に不思議なる程也。 『筆まかせ』第二編「明治二十三年」の部「言語の変遷」)

幟の節句は東京にては新暦を用ふることゝて旧暦の三月末に当りしかも立夏に立てあひたるものをかし。儀式は大方にすたれたるを幟樹(た)つること許(ばか)りはいよいよはやり行くを見るに子を可愛がる親の心は文明開化も同じことなるべし。それさへ定紋を染め鐘馗を画きたる幟は吾等のかすかなる記憶に残りて今は最も俗なる鯉幟のみ風の空に翻りぬ。 『松蘿玉液』


鯉のぼりは子規の眼には「最も俗なる」ものと映ったようである。

【典拠文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆) 講談社 1975年5月
『子規全集』第11巻(随筆1) 講談社 1975年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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