樗堂「花ざかり」の句

  花下所思
花ざかり散(ちる)より外(ほか)はなかりけり


栗田樗堂(1749-1814)の句(『樗堂俳句集』所収)。

かなり古い書だが、安藤和風(1866-1936)の『俳諧研究』(1908年刊)に樗堂の俳風を評した次のような文章がある。

師の暁台(引用者注-樗堂の俳諧の師は加藤暁台)は所謂(いわゆ)る中京の名古屋に在り、東西の俳風を調和し、漢語、雅語、俗語等を巧に渾化したが、樗堂は一層平易にして、余りに辞藻に意を用ひない。故に動(やや)もすれば、俗調俗句を混淆せるも、猶天明の時潮に漂ひしを以て甚しきに陥らない。
彼は決して着想に高遠を求めず、辞藻に険奇を用ひず、材とし、料とする所のものは、多く眼前の風物である。則ち能く実情を俳化したるは、彼の特徴といふべきである。而して俗了し易き実情に趣味の衣を被せしは、其の苦心造詣を測知すべきである。
彼は俳諧の為め産を破り(引用者注-この点は不正確)、道に忠実な丈(だ)け、実情の吟のみならず、老巧のものも亦尠(すく)なからぬ。只少しく繊細に流れんとする傾なきにあらざるは、白玉中の微瑕であらう。


安藤和風は秋田魁新報の主筆、社長をつとめた人物で、俳句に造詣が深かった。上記の書では、樗堂の「淡宕穏秀」(淡くて作為がなく、おだやかであること)なる俳風は、子規のそれと共通するもので、伊予のおだやかな風土の「薫育」(感化し育成すること)が両者に認められるのではないかと指摘している。

【参考文献】
安藤和風『俳諧研究』春陽堂 1908年5月
愛媛県史編纂委員会『愛媛県史 資料編 文学』 1982年3月

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テーマ : 歴史
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