定秀寺 碧梧桐の句碑

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三津(神田町)の定秀寺に河東碧梧桐(子規の高弟 1873-1937)の句碑がある。

銀杏寺をたよるやお船納涼の日 碧


同句は明治43年(1910)8月11日、水戸鳥会(三津の俳句結社。旧称此柱会)の大会でのもの。句に詠まれている定秀寺の大銀杏は、沖合を行く船からもよく見え、三津の目印とされていた。同日の大会については碧梧桐の紀行日記『続三千里』に次のような記述がある。

八月十一日。晴。
三津水戸鳥会の大会に列した。(伊予松山にて)
納涼や養魚餌食(は)みの汐満ちて 一修
葭川に野良鵜鳴く門納涼かな 雷死久
納涼詣り走り咲く草夜白みて 連翠
納涼更けて子授け星の行く頻り 隣仏
銀杏寺をたよるや御船納涼の日 碧梧桐


若干の注を付しておこう。「一修」=三好一修(1841-?)。三津浜の人。水戸鳥会々員。「雷死久」=森田愛五郎(1872-1914)。法諱貫久。常福寺(松山市潮見)住職。雷死久の俳号は自作の句「雷公の死して久しき旱かな」によるもの。「連翠」=森要三郎(1880-1941)。三津浜の人。大原其戎の高弟、連甫(1838-1909)の子。「隣仏」=定秀寺住職。「水戸鳥会」は森田雷死久、野本蛭芽公の指導を得ていたらしく、その縁で明治43年8月11日の大会に碧梧桐が招かれることになったようである。

【参考文献】
河東碧梧桐『続三千里(中)』講談社 1974年7月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 人物』 1889年2月
白田三雅編『伊予俳人録』(松山子規会叢書第26集) 1998年4月
森元四郎『椿守り-森元四郎著作集』 2003年12月

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テーマ : 歴史
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