明治時代の伊予弁

明治時代の伊予弁-高浜虚子(1874-1959)の著『子規居士と余』に記された子規・虚子の会話によってそれを見てみることにしよう。以下の引用に出る「居士」「升さん」は子規、「余」は虚子である。

居士の帰省中に、も一つこういう事があったのを思い出した。余は二階の六畳に寝転んで暑い西日をよけながら近松世話浄瑠璃や『しがらみ草紙』や『早稲田文学』や西鶴ものなどを乱読しているところに案内も何もなく段梯子(だんばしご)からニョキッと頭を出したのは居士であった。上に上って来るのを見ると袴を穿いて風呂敷包みを脇に抱えて居る。居士が袴を穿いているのは珍しいので「どうおしたのぞ。」と聞くと、
「喜安璡太郎はお前知っといじょうが。あの男から講演を頼まれたので今それを遣(や)って来たところよ。」
「そうかな。何を講演おしたのぞ。」
「文章談をしたのよ。」とそれから間もなくその風呂敷包を開いて一つの書物を取り出して見せたのは浪六(なみろく)の出世小説『三日月』であった。それから「俗なものだけれど、文章は引締っていてなかなか旨い処があるぞな。」と居士は言う。
「そんなに旨いのかな。露伴より旨いのかな。」
「もっとも私(あし)は馬鹿にしていて二、三日前まで読まなかったのだが、読んで見るとなかなか旨いから、今日持って行って材料にしたのよ。そりゃ内容から言ったら露伴の方が遥に高尚だけれども文章はところどころ露伴よりも旨いと思われる処がある。」とそれから一々その書物を開きながら、この句がいい、この句が力があるというような事を説明した。

子規居士は心配して、ある時余に、
「どうおしる積りぞな。」と聞いた。余は何とも答える事が出来なかった。
「とにかく何でも書いて御覧や。文章が出来なけりゃ俳句だけでも熱心に作って御覧や。」と居士は更に忠告した。

居士は平生、
「お前は人に相談という事をおしんからいかん。自分で思い立つと矢も楯もたまらなく遣(や)っておしまいるものだから後でお困りるのよ。」とよく余に忠告したがしかしそれには余は服さなかった。

升(のぼ)さん、どうおした。」と聞いた。(中略)居士は聞き取れぬ位の声で囁くように言った。
「血を吐くから物を言ってはいかんのじゃ。動いてもいかんのじゃ。」


明治時代の伊予弁がよくうつし出されているのではないかと思う。今の伊予弁に子規・虚子当時ほどの特色はないが、温国らしい柔和な響きは今も昔も変わらないのではなかろうか。

さくら咲き語尾のやさしき伊予言葉


加倉井秋を(かくらい あきを 茨城県出身 1909-1988)の句である。

【典拠文献】
高浜虚子『回想 子規・漱石』岩波文庫 2002年8月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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