三津の渡し(1)

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三津の渡し(港山の渡し)」については『愛媛県史』に次のような記述がある。

港山の渡しは、松山港内港口にある幅101メートル(満潮の場合)の水道をはさんで、南岸の三津一丁目(旧須先町)と北岸の港山町を結ぶ渡しである。三津側からは「三津の渡し」「須先の渡し」とも呼んでいる。渡しの起源は不詳だが、応仁年間、港山城主河野通春が毎朝城兵の米穀や野菜を運ばせたのがはじまりといわれている。下って明治初年、町大年寄だった向井団四郎(三津浜築港事業の先駆的功労者)が、この渡しをまたぐ架橋の設計図を残していることからみて、明治に入ったころにはかなりの往来があったものと考えられる。三津浜町当局は、町道として無料の渡し船を運航していたが、昭和15年、同町が松山市に合併されると市営にかわり、以後も無料で運航されている(現在は松山市道高浜三五六号)。長い間手漕ぎ船で渡していて、乗客が船頭に代わって櫓を漕ぐこともあり、牧歌的風情があったが、昭和45年から長さ8メートル余のエンジン付きの船に代がわりした。時刻表は決まってなく利用者があれば往復する形態だが、1時間平均9往復するという(船頭は正規の市職員)。


「乗客が船頭に代わって櫓を漕ぐこともあり」云々というのは、手漕ぎ船の時代、実際にしばしばあったことで、やってみようという乗客には、櫓漕ぎを試させてくれた。乗り合わせた乗客も素人の操船を不安がるふうもなく、むしろそれを面白がるといった風情。たいていは船がとんでもない方向に向かったりして、途中で船頭さんに櫓を返すはめになる。なお、上引の記述には「現在は松山市道高浜三五六号」とあるが、渡し場(三津側)に設置されている案内板によると、「正式名称は松山市道高浜二号線の一部(約八〇米)」である。

【典拠文献】
愛媛県史編纂委員会『愛媛県史 社会経済3 商工』 1986年3月

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テーマ : 歴史
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