三津稲荷新地の遊郭

三津の東新地には十軒茶屋と呼ばれる遊郭があった。『三津浜誌稿』によると、この十軒茶屋は明治26年(1893)に稲荷新地に移転。当初は東西の一筋町であったが、のちに南北の一筋町が増えて、稲葉楼・朝日楼・敷島楼・吾妻楼・いろは楼・日英楼・日新楼・三福楼・新月楼・八千代楼・住吉楼・鈴の家・一力楼・勝利楼の14軒が貸座敷(茶屋)として営業、130余名の娼妓がいたという。活況を呈していたのは大正時代から昭和初年にかけてであったらしい。遊郭のあった稲荷新地は旧船場町の西南部、船場町は藩政時代の御船場(松山藩の水軍基地)を維新後に埋め立ててできた町である。稲荷新地という呼称は町内に稲荷神社があったことに由来するものであろう。松山地方の遊郭はこの三津稲荷新地と道後松ケ枝の二か所であった。

【参考文献】
三津浜郷土史研究会編『三津浜誌稿』1960年12月
大石慎三郎監修『日本歴史地理大系39 愛媛県の地名』平凡社 1980年11月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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