明治28年3月15日の子規

明治28年(1895)3月15日、正岡子規は従軍を前にして松山に帰省し、末広町の法龍寺にあった父の墓に詣した。生まれ故郷に帰らなかった3年の間に松山-平井間の鉄道が開通、線路が法龍寺の境内を横切るなど、周囲の景観が一変していることに子規は驚く。

十五日郷里松山に行き家君の墓に謁づ。鉄軌寺中を横ぎりて菜花墓のほとりに乱れ咲く。蘋藻を薦めざる事纔かに三年桑滄の変(注-世の中の激しい転変)胸にふたがりてしばしは立ちも上らず。 子規『陣中日記』


父の墓に詣した子規は次の句をのこしている。

法龍寺父君の墓に詣でゝ
畑打よこゝらあたりは打ち残せ  『寒山落木』巻四


展墓の後、子規は湊町4丁目の叔父(大原恒徳)の家に赴いた。子規帰郷の報せに接した柳原正之(極堂)は同家を訪ね、「従軍は余りに無謀ではないか」と忠告したが、子規は「そのことはもう言わんことにしてくれ。ぼくはもう決心しているのだから」と答えたという(柳原極堂『友人子規』)。柳原はやむをえず送別会の開催を申し入れ、子規の了承を得た。送別会は翌16日の夕刻、三番町の料亭明治楼で開かれることになった。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第2巻(俳句2) 講談社 1975年6月
『子規全集』第12巻(随筆2) 講談社 1975年10月
『子規全集』第22巻(年譜 資料) 講談社 1978年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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