「新栄座といふ芝居小屋のできし事」

子規の『筆まかせ』第一編、明治22年(1889)の部に「帰郷中目撃事件」として「一、新栄座といふ芝居小屋のできし事」という一項がある。新栄座は明治20年10月に落成した松山地方初の本格的劇場で、小唐人町の一番町側入り口近くにあった(現在の大街道2丁目)。同23年7月16日付、五百木良三(飄亭)宛の子規書簡には、「肝をつぶせしもの」として「新栄座の釣天井」が挙げられている。同28年10月6日、子規・漱石の二人がこの新栄座で照葉狂言を観劇したことは、当ブログ本年2月14日記事ですでに述べた。

この劇場ができる以前の小唐人町一帯は、森閑としたさびしい町であった(明治9年、小唐人町の戸数は126戸、人口450人)。明治20年10月4日におこなわれた新栄座の上棟式で、当時の海南新聞社の代表は、「三番町以北の寂しい小唐人町に建設したことは、一帯が繁華街に転じ、さらに“松山の北海道”城北まで余響を及ぼすであろう」と祝辞の中で述べたという。この言葉通り、新栄座の開設を契機として小唐人町はにぎわいをみせ、大正初年には松山地方で最も繁華な商店街となって、大街道という呼び名が定着する(大街道が正式名称となるのは昭和5年)。戦前には通りに柳並木があり、銀座大街道とも呼ばれたという。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆) 講談社 1975年5月
『子規全集』第18巻(書簡1) 講談社 1977年1月
『愛媛県百科大事典』上巻(「大街道」「新栄座」の項) 愛媛新聞社 1985年6月

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テーマ : 歴史
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