明治25年千島艦堀江沖遭難の記事

明治25年(1892)11月30日、愛媛県和気郡堀江(現在の松山市堀江)沖で水雷砲艦千島がイギリス船ラベンナ号と衝突・沈没、乗員70余名が溺死するという海難事故が発生した[注]。翌月2日、新聞「日本」にはこの惨事を伝える次のような記事が掲載された。

海の藻屑
奔浪怒涛の間に疾風の勢を以て進み行きしいくさ船端なくとつ国の船に衝き当るよと見えしが凩に吹き散らされし木の葉一つ渦巻く波に隠れて跡無し。軍艦の費多しとも金に数ふべし。数十人の貴重なる生命如何。数十人の生命猶忍ぶべし。彼等が其屍と共に魚腹に葬り去りし愛国心の値問はまほし。
ものゝふの河豚に喰はるゝ哀しさよ


時事俳句入りのこの記事を書いたのは正岡子規。子規は明治25年12月1日(千島艦遭難の翌日)、日本新聞社に記者として入社、最初に書いた記事がこの故郷での惨事を伝える「海の藻屑」であった。以後、子規は時事俳句入りの記事を次々と書くことになる。子規にこうした形式の記事を書かせたのは日本新聞社編集格の小嶋一雄であるが、彼は子規の没後、「今となって見るとこんな事に君を煩したのは気の毒であったと後悔するが負ける事の嫌な君は快く此注文を引受けて是より日々の紙上君が俳文若しくは俳句を見ざるの日はなかった」と述べている。

[注]-実際の沈没位置は釣島水道であったらしいが、事故当時より堀江沖の衝突・沈没とされている。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第12巻(随筆2) 講談社 1971年10月
『子規全集』別巻2(回想の子規1) 講談社 1975年9月
『国史大辞典』第9巻(「千島艦事件」の項) 吉川弘文館 1988年8月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月
『ふるさと ほりえ発見の旅』堀江公民館 2000年9月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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