子規、安倍医師への礼状

安倍能成(ブログ09年12月1日、10年2月12日記事参照)の父は名を義任(よしとう)といい、松山の小唐人町で開業医をしていた。明治12年(1879)の夏、正岡子規(数え年13歳)が疑似コレラ(実際には大腸カタルか)にかかったとき、治療にあたったのがこの安倍義任医師である。同年は全国的にコレラが流行し、愛媛県内でも1万4414人の患者が発生、903人が死亡した。子規は幸い大事に至らず7日ほどで快癒、安倍医師に対して翌年1月5日付で礼状を出している(自筆現存。松山市立子規記念博物館で展示)。その礼状には、「余九死一生ヲ免レ唯独リ世ニ存スルヲ得ルハ実ニ国手ノ治術宜シキヲ得 妙薬ノ法ニ適スルニヨルベシ 其伝染スルモ之ヲ懼レズ 暑烈シキモ之ヲ避ケズ 国手ノ厚情之ヲ謝セント欲スレドモ辞ナク 之ヲ報ゼント欲スレドモ能ハズ 余今十三年ノ元旦ニ逢フモ実ニ国手ノ賜ナリ」などと記されている(文面に出る「国手」は医師を敬っていう語)。講談社刊の『子規全集』には子規の手紙が1100通余り、年代順に収録されているが、その最初のものがこの安倍医師への礼状である。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第18巻(書簡1) 講談社 1977年1月
『子規全集』第22巻(年譜 資料) 講談社 1978年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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