漱石、弓の稽古に励む

夏目漱石は弓の稽古に励んでいたことがある。明治27年3月9日付、菊池謙二郎宛の手紙には、「大弓大流行にて小生も過日より加盟致候」とあり、同12日付、正岡子規宛の手紙には、「弓の稽古に朝夕余念なく候」とあるから、松山赴任(明治28年4月)の一年前頃より本格的な弓の稽古を始めたようである。松山在住時にも漱石は弓の稽古をしていた。高浜虚子はその様子を眼にしたことがあり、後年次のように語っている。

漱石氏は大学を出て松山の中学校の教師になっていたので、それを訪問してみることを子規居士から勧められた。(中略)氏の寓居というのは一番町の裁判所の裏手になって居る、城山の麓の少し高みのあるところであった。(中略)蓮池や松林がそこにあって、その蓮池の手前の空地の所に射垜(あずち)があって、そこに漱石氏は立っていた。それは夏であったのであろう、漱石氏の着ている衣物(きもの)は白地の単衣(ひとえ)であったように思う。その単衣の肩肌を脱いで、その下には薄いシャツを着ていた。そうしてその左の手には弓を握っていた。漱石氏は振返って私を見たので近づいて来意を通ずると、
「ああそうですか、ちょっと待ってください、今一本矢が残っているから」とか何と言ってその右の手にあった矢を弓につがえて五、六間先にある的をねらって発矢(はっし)と放った。その時の姿勢から矢の当り具合などが、美しく巧みなように私の眼に映った。それから漱石氏はあまり厭味(いやみ)のない気取った態度で駈足(かけあし)をしてその的のほとりに落ち散っている矢を拾いに行って、それを拾ってもどってから肌を入れて、
「失敬しました」と言って私をその居間に導いた。 高浜虚子『漱石氏と私』(岩波文庫『回想 子規・漱石』所収)


虚子が訪ねたのは城山の南麓に当時あった愛松亭である。松山在住時、漱石はその愛松亭の二階に2、3カ月住んでいた。当時は敷地内に「あずち」(的をかけるための山形の盛り土)が設けられており、弓の稽古ができるようになっていたようである。後年、漱石は虚子宛の手紙の中で、「私が弓を引いた垜(あずち)がまだあるのを聞いて今昔の感に堪えん。何だかもう一遍行きたい気がする」(明治40年7月16日付)と述べている。

漱石は明治27年3月12日付の子規宛の手紙に、弓の弦音(つるおと)をよみこんだ句を三句書き添えている。

弦音にほたりと落ちる椿かな
弦音になれて来て鳴く小鳥かな
弦音の只聞こゆなり梅の中


このうち「~ほたりと落ちる椿かな」の句は、子規が編集責任者をしていた「小日本」に後日掲載された。

s0198r.jpg s0307r.jpg s0196r.jpg

【典拠文献・参考文献】
柴田宵曲『子規居士の周囲』六甲書房 1943年9月
『漱石全集』22巻 岩波書店 1996年3月 
『漱石全集』23巻 岩波書店 1996年9月
高浜虚子『回想 子規・漱石』岩波文庫 2002年8月

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村




テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード