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「お船手細工」

高浜虚子のエッセー「三津ケ浜出港」(初出「ホトトギス」昭和30年11月)に、三津の船手が内職で作っていたという「お船手細工」についての記述があるので引用しておこう。

その頃の伊予鉄(汽車)はまだ高浜港迄延びてゐなかった。三津ケ浜といふところで止まってゐた。
その頃の高浜といふのは小さい漁村に過ぎなかった。三津ケ浜の方が旧藩時代からの港であって、一つの町を成してゐた。其処には昔お船手衆と称する者が住んで居た。それは殿様が参覲交代で江戸へ出掛けられる時、乗船の世話をするものであった。私の子供の頃は、そのお船手衆であった人々は、もう老人になってしまってゐたが、只「お船手細工」と称へる竹籠がまだ其老人達の手によって造られて市場に出てをった。其お船手衆は小身であった為に、内職に竹籠を編むで其を売捌いてゐたものであった。(中略)このお船手細工は手のこんだ物ではあったが、都会人の好むやうなすっきりした処がなかった。其後松山あたりでもだんだんと売れなくなって来て今ではもう殆ど後を断ったものと考へる。


船手は藩の御用船の操船・管理にあたる下級武士。藩政時代、町人のまちであった三津の一郭に船手の基地(御船場)とその居住区があった。町人地とは厳然と区別され、混住・往来することはなかったという。[注-三津の船手については、当ブログ09年6月25日記事を参照していただきたい。]

【典拠文献】
『定本高浜虚子全集 写生文集(二)』第9巻 毎日出版社 1974年6月
松山市史編集委員会編『松山市史』第2巻 1993年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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