子規と漱石

正岡子規という人間の影響力には多大なものがある。子規との出会いによってどれほど多くの人々が感化され、才能を開花させていったことだろう。夏目漱石もその一人。夏目金之助が小説家漱石となって才能を開花させたのも、青年時代に子規と出会っていたからこそであった。漱石門下の小宮豊隆はいう。

漱石が子規と知り合いになったということは、芸術家漱石にとって、殆ど運命的なことだったと言ってよかった。漱石が子規と知り合いにならなかったら、漱石はあるいは文学研究家として、一箇の学究として、その一生を終始していたかも知れない。勿論漱石の芸術は、子規の刺激がなくても、自分自身を爆発させる機会を、いつかは持ったには違いない。しかし漱石に文章を書かせ、俳句をつくらせ、『倫敦消息』を書かせ、その因縁から『ホトトギス』に『猫』を書かせ、『幻影の楯』を書かせ、『坊っちゃん』を書かせ、結局漱石をして小説家たらしむるに至った原動力が子規であったことを考えれば、芸術家漱石の一生において、子規が勤めた役割は、重大な-あるいは米山保三郎の役割よりももっと重大なものであったと、言っていいかも知れないと思う。(中略)
漱石のこれまでの友人は、例えば太田達人でも、橋本左五郎でも、佐藤友熊でも、中村是公でも、その殆どすべては、芸術とは縁のない人々であった。然るに今漱石の眼の前には、小説家たることを畢生の目的として、日夜そのことばかりを考えつめているような、しかも漢詩も作れば漢文も書き、和歌でも俳句でも、擬古文でも論文でも、何をやってもできないことはないというような、芸術的な子規が出現したのである。子規によって漱石は、自分の要求にぴったり嵌った友人が獲られたものとして、歓喜したいような気持にもなったものだろうと思う。


漱石をじかに知るものならではの分析である。小宮がここで指摘しているように、子規との出会いは漱石に「歓喜したいような気持」を生じさせたに違いない。その気持は次第に創作意欲へと変化醸成し、小説家漱石の誕生につながってゆく。これも小宮が指摘していることだが、漱石の小説『三四郎』の中の三四郎と与次郎の関係は、まさしく漱石と子規の関係で、「全体として『三四郎』の上に、ほのかな哀愁が漂っているのも、子規に対する追憶と当時の自分自身に対する追憶とが一つになって、漱石にそういう気持を用意したものかも知れない」という。なるほどと思わせるような指摘である。

【参考文献】
小宮豊隆『夏目漱石(上)岩波文庫 1986年12月
小宮豊隆『夏目漱石(下)』岩波文庫 1987年2月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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