熟田津の歌三首

『万葉集』には伊予の「にきたつ」(熟田津・飽田津・柔田津)の歌が三首ある(下記)。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜(巻1・8)

ももしきの大宮人(おほみやびと)の飽田津に船乗りしけむ年の知らなく
百式紀乃 大宮人之 飽田津尓 船乗将為 年之不知久(巻3・323)

柔田津に舟乗りせむと聞きしなへ何をも君が見え来ざるらむ
柔田津尓 舟乗将為跡 聞之苗 如何毛君之 所見不来将有(巻12・3202)

 
一首目(巻1・8)は額田王(ぬかたのおおきみ)の有名な歌。この歌の題詞には「額田王歌」とあるが、左注には「天皇御製」とある。これについては額田王=実作者、斉明天皇=形式作者とする説がある。歌意は「熟田津で船出をしようと月の出を待っていると、望んでいたとおり、月も出て、潮の具合もよくなった。さあ、今こそ漕ぎ出そうぞ」。

二首目(巻3・323)は山部赤人(やまべのあかひと)の歌。「山部宿禰赤人の伊予の温泉に至りて作れる歌一首并せて短歌(山部宿禰赤人至伊予温泉作歌一首并短歌)」とある題詞の「短歌」がこれである。「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞、「大宮人」は宮中に仕える人。歌意は「〈ももしきの〉大宮人が熟田津で船出した、その昔がいつのことかもうわからなくなってしまった」。額田王の歌にうたわれた輝かしい往時の船出がいつのことかわからないほど昔のことであると述べて、熟田津の由来が古いことを強調している。

三首目(巻12・3202)は夫の帰りを待ちこがれる妻の歌。歌意は「熟田津で帰りの船出をすると聞いたのに、あなたはどうして帰ってこないのであろう」。

『万葉集』に上記のようにうたわれる熟田津は古代瀬戸内の代表的な港の一つであった。『日本書紀』には「伊予の熟田津の石湯行宮」(斉明紀正月十四日条)とあり、この熟田津が石湯行宮(いわゆのかりみや)と一体の関係にあったことを示している。石湯行宮は一説では久米官衙跡。久米官衙跡は飛鳥地域の宮殿遺構に匹敵する規模であるという。

【典拠文献・参考文献】
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(四)』岩波文庫 1995年2月
伊藤博『萬葉集釋注(一)』集英社文庫ヘリテージシリーズ 2005年9月
伊藤博『萬葉集釈注(二)』集英社文庫ヘリテージシリーズ 2005年9月
伊藤博『萬葉集釋注(六)』集英社文庫ヘリテージシリーズ 2005年9月
梶川信行『額田王-熟田津に船乗りせむと-』ミネルヴァ書房 2009年11月

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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
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