漱石と松山(道後温泉)

明治28年(1895)4月、中学の英語教師として松山に赴任した夏目漱石は、5月10日付で親友の狩野亨吉に近況を報告する手紙を出している。この手紙の中で漱石は道後温泉に言及し、次のように語っている。

道後温泉は余程立派なる建物にて八銭出すと三階に上り茶を飲み菓子を食ひ湯に入れば頭まで石鹸で洗って呉れるといふ様な始末随分結好に御座候 夏は高浜と申す処に海水浴ありて毎日汽車にて往復出来候よし其他別に面白き散歩所も無之候


口のわるい漱石もさすがに道後温泉だけは褒めている(小説『坊つちやん』でも「住田」の温泉名で「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」といっている)。三層楼の道後温泉本館が完成したのは明治27年、漱石は新築まもないこの本館にかよった。上引の記述によると、当時は洗髪のサービスまであったようである(茶菓のサービスは現在でもある。二階席・三階個室)。後年、生まれ故郷の東京に帰った漱石は、高浜虚子宛の手紙(明治40年7月17日付)の中で下記のように語っている。

何だかもう一遍行きたい気がする 道後の温泉へも這入りたい あなたと一所に松山で遊んでいたらさぞ呑気な事と思ひます


松山在住時には、「此頃愛媛県には少々愛想が尽き申候」(明治28年11月6日付子規宛書簡)と語っていた漱石であるが、歳月の経過は、漱石に松山を懐かしむ気持ちを生じさせたようである。

【典拠文献】
『漱石全集』2巻 岩波書店 1994年1月
『漱石全集』22巻 岩波書店 1996年3月
『漱石全集』23巻 岩波書店 1996年9月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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