熟田津は「干潟の港」

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜(『万葉集』巻1・8)


『万葉集』のこの有名な歌に出る地名「熟田津」は、「(後背地に)豊饒な田がある港」の意で、他の解釈はあり得ないと思っていたが(当ブログ09年11月14日、15日記事参照)、梶川信行の近著『額田王』では、この地名は「理想的な田のような港」の意で、田のような干潟のできる港であることを示したものだという。「熟田津はラグーン(潟湖)と呼ばれる、干潟のできる港であったと考えられるのだ。(中略)ラグーンとは砂嘴などによって海の一部が外海と隔てられた湖沼のことで、(中略)外海からの風波を避けることができ、手頃な水深を持っていて、水底は砂や泥によって構成されているので、船が手入りする際に破損することがほとんどなかったと言う。(中略)ラグーンは、船底が平らな古代の船が、潮の満ち干を利用して、着岸と上下船をたやすく行なうことができたと考えられている。熟田津も、そうした天然の良港であったと見ることができる」と同書ではいう。さらにこの熟田津の比定地として、断定こそしていないものの、重信川の河口を挙げ、「古代の熟田津とはこういう姿だったのではないかと思われてならなかった」と訪れた時の印象を語っている。熟田津の地に関しては、古くは三津説、次いで和気・堀江説が有力視され、近年は重信川河口説が急浮上といった状況であろうか。

【参考文献】
梶川信行『額田王-熟田津に船乗りせむと-』ミネルヴァ書房 2009年11月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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