恵美須神社(松山市三津2丁目)の大原其戎句碑

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日永さやいつまでこゝにいよの富士 其戎


大原其戎(1812~1889)は三津栄町(現在の三津1丁目)に在住した俳諧の宗匠。子規が唯一の俳諧の師と仰いだ人物である。

俳句を作るは明治二十年、大原其戎宗匠のもとに行きしを始めとす。(正岡子規『筆まかせ』第一編「哲学の発足」)

余が俳諧の師は実に先生をもってはじめとす。而して今に至るまで未だ他の師を得ず。(同・第四編「大原其戎先生の手書写し」)


明治20年(1887)7月某日、夏季休暇で松山に帰省していた子規(数え年21歳)は親友柳原極堂をともなって、其戎宅を訪問。後日、其戎主宰の俳諧結社「明栄社」に加入する手続きをとった。

其戎の居宅は三津栄町三十四番戸。石崎汽船の旧本社ビル(下の画像)の裏付近がその居宅のあった場所である。

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恵美須神社の句碑の文字は子規自筆自輯の選句稿『なじみ集』(其戎以下98名の俳人の句集)からとられた。句に詠まれている「いよの富士」は興居島の伊予小富士である(→2013年4月11日記事参照)。

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テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

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