伊丹十三-京都生まれだが、ふるさとは松山-

伊丹十三は1933年、京都市の生まれだが、早くに父万作(映画監督)を亡くし、高校一年のときの1950年に父の故郷の松山に移り住んだ。十三はこの松山移住を「島流しにあった」と述べている。

あれは高校一年の頃だった。当時、わたくしは四国の松山というところへ島流しにあって、お寺の一室に住んでいたのだが(以下略)(『ヨーロッパ退屈日記』1965年初刊)


十三が住んだ「お寺」というのは、当時、小坂2丁目にあった多聞院。この寺の一室を借りて母・妹と暮らすようになった。1950年4月、松山東高校に転入。この寺での生活は短く翌年には「ピアノのある下宿」というところに移っている。

わたくしたちはピアノのある下宿を見つけてそれまで下宿していたお寺を出た。(同上)


この「下宿」は此花町にあったらしい。同年秋頃から休学。

1952年4月、松山南高校に転入。翌々年、同校を卒業して上京した。松山での生活はわずか4年、「島流し」とも語っていた十三だが、何か心境の変化があったのか、この地を「私の郷里」「わがふるさと」と呼ぶようになった。

私の郷里は愛媛県でありますが、わがふるさとでは夏の海水浴の飲み物は飴湯と甘酒に決っていたもんです。(『女たちよ!』1968年初刊)



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伊丹十三が住んでいた多聞院は、小坂2丁目から枝松4丁目に移転。寺の建物も新しいので近年の移転であろう。

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2007年5月15日、十三のふるさと松山に伊丹十三記念館(東石井1丁目)が開館。5月15日は伊丹十三の誕生日である。

【参考文献】
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫2005年3月
伊丹十三『女たちよ!』新潮文庫2005年3月
「考える人」編集部『伊丹十三の本』新潮社2005年4月

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テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

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