伊予三山

松山平野の中央部に点在する天山・東山・星岡山は、天香久山・畝傍山・耳成山の大和三山に対して、伊予三山と呼ばれる。

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天山(標高50m)。天山神社の参道がこの山の登り道。

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山頂の天山神社。『伊予国風土記』はこの山について、「天山と名づくる由(よし)は倭(やまと)に天香具山あり。天ゆ天降(あまくだ)りし時二に分かれて、片端は倭の国に天降りて、片端はこの土(くに)に天降りき。因()りて天山と謂()う」と記述。天上にあった山が落下し、片端が大和の天香久山、片端が伊予の天山になったという。

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大和国の天香山神社との交流二十周年記念碑。

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東山(標高48.5m)。この山には28基の古墳(円墳19基・方墳5基・墳形不明4基)があるという。

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東山よりの星岡山(標高75m)。『温泉郡誌』は星岡山について、「西南に長く連なりて五つの森をなす。故に俗に五ヶ森(いつつがもり)ともいう。(中略)伝説に上古、伊奘諾尊、天山に駐り給う時、供奉の諸神はこの山に宿次せしが、星と日月に比し、諸臣を星に比す。よってこの山を星の岡と名づけたるなりという」と記している。

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小野川・星岡山。小野川の流路は古代と幾分異なるのであろうが、当時もこの伊予三山の近辺を流れていた。古代伊予の人々は小野川の流れる伊予三山の地を大和国の飛鳥地域(大和三山があって飛鳥川が流れる)に見立てていたといわれる。

【参考文献】
松田卯太郎編『新編温泉郡誌』松山石版印刷所1916年3月
松原弘宣『熟田津と古代伊予国』創風社出版1992年4月
植垣節也校注『新編日本古典文学全集5風土記』小学館1997年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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