「七曲り」-加藤嘉明が造った戦略道路

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松山市吉藤3丁目の「七曲り跡」碑。七曲りは加藤嘉明が城下町建設のときに造った松山の北の戦略道路。現在の山越から姫原を経て鴨川に至る街道で、七ヵ所の屈折を持たせた道として造られた。屈折した道にしたのは、敵の進軍速度を遅らせると同時に敵の数を高地(松山城)から計測するためであったといわれる。

近年の説によると、加藤嘉明は七曲り街道周辺を樹林帯にする構想を懐いていた(周辺樹木の伐採や草刈りを禁止する布告を出している)。街道を通る敵を周辺の樹林から変幻自在に攻撃するためであったらしく、七曲りを造った本当の理由も敵へのそうした積極的な攻撃をおこないやすくするためであったのかもしれない。

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松山市谷町の室岡山蓮華寺。七曲り街道の途中の室岡山と呼ばれる小丘陵にこの寺がある。この寺は有事の際の重要な軍事拠点で、加藤嘉明は大坂夏の陣のおり戦乱の波及も予想してこの寺に兵を駐屯させていた。

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松山市山越6丁目・高崎公園にある子規句碑。「永き日や菜種づたひの七曲り 子規」。子規の頃にはまだのこっていた七曲り。今は一部の道路にその痕跡が認められるのみである。

【参考文献】
日下部正盛『加藤嘉明と松山城』愛媛新聞サービスセンター 2010年9月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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