米山日記、西山に向かう「なぐさみ人」の記述

三輪田米山の日記、明治9年(1876)4月22日条に次のような記述。

四月廿二日(中略)当日も松山西山なぐさみ人、ありのくま参りのごとし。いづれも行きかへり人力車なり。


人力車に乗って西山に向かう「なぐさみ人(行楽客)」が引きも切らずであるという。現在、松山総合公園となっている西山は当時から松山の人々の恰好の行楽地。春になると数多くの「なぐさみ人」がこの山を訪れていた(画像中央・西山)。

DSCF2194_convert_20150404134620.jpg

「なぐさみ」は春の行楽を意味する松山地方の方言。「おなぐさみ」ともいう。

余の郷里にては時候が暖かになると「おなぐさみ」ということをする。これは郊外に出て遊ぶ事で一家一族近所合壁などの心安き者が互いにさそい合わせて少なきは三四人、多きは二三十人もつれ立ちて行くのである。それには先ず各自各家に弁当か、またはその他の食物を用意し午刻頃より定めの場所に行きて陣取る。その場所は多く川辺の芝生にする。(中略)ここを本陣として置いて食時ならば皆ここに集って食う。それには皆弁当を開いてどれでも食うのでもとより彼我の別はない。(中略)食事がすめばサア鬼ごとというので子供などは頬ぺたの飯粒も取りあえず一度に立って行く。女子供は普通に鬼事か摘草かをする。それで夕刻まで遊んで帰るのである。(正岡子規『墨汁一滴』明治34年4月10日条)


『愛媛県史 民俗下』の記述によると、「なぐさみ(おなぐさみ)」は三月節供にともなう野外飲食の習俗(山遊び・磯遊び)に由来。三月節供は春の農事開始を控えての神祭りの日だったから、家で仕事をしてはならないとされ、山や磯などに出て飲食する習俗が生じた。のちにそれが単なる春の行楽へと転化、「なぐさみ(おなぐさみ)」の風習となったらしい。

【参考文献】
『子規全集 第十一巻 随筆一』講談社1975年4月
愛媛県史編纂委員会『愛媛県史 民俗下』1984年3月
松山市史料集編集委員会『松山市史料集 第八巻』1984年4月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード