夏目漱石、下宿先は「眺望絶佳の別天地」

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勝山(城山)南麓の萬翠荘(国指定重要文化財)。この辺りは加藤嘉明の松山城築城以前、二峰に分れていた勝山の谷の部分で、小谷と呼ばれていた。味酒町の雲祥寺はもとこの小谷にあったが、嘉明の築城にともなう谷の埋め立てで、現在地に移ったという。

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萬翠荘の敷地にある井戸。藩政時代以来の井戸といわれる。この敷地は藩政時代、家老菅氏の屋敷であった。

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同じく萬翠荘の敷地にある愛松亭跡碑。明治の一時期、愛松亭という料理屋がこの敷地にあったが、廃業して骨董商津田保吉の住まいとなった。平屋建ての母屋と、もと愛松亭であった二階建ての離れがあったのだが、その離れの二階に夏目漱石が下宿していた(明治28年4月~6月)。漱石はこの下宿先のことを子規宛ての手紙の中で、「小生宿所は裁判所の裏の山の半腹にて眺望絶佳の別天地」(明治28年5月28日付)と伝えている。

ここはその後、久松家(旧松山藩主家)の所有となり、高浜虚子の実兄の池内政忠が管理人として住んでいた。当時、虚子は帰省するたびに漱石が下宿していたその離れの二階に寝泊まりしていたという(高浜虚子『漱石氏と私』)。

大正11年(1922)、久松家はここにフランス風洋館の別邸萬翠荘を建設。同年の皇太子(のちの昭和天皇)松山行啓のおりにはその宿泊所となった。

「眺望絶佳の別天地」と漱石が伝えたこの地だが、現在は前面の裁判所の建物などによってその眺望が妨げられている。

【参考文献】
『漱石全集 第二十二巻』岩波書店1996年3月
高浜虚子『回想 子規・漱石』岩波文庫2002年8月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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