正岡子規「明治二十三年四月一日は記憶すべきの時なるかな」

明治23年(1890)4月1日-学生であった子規はこの日から春休み、成田方面への旅行も計画していたのだが、春休みのこの初日が忘れられない一日となった。

四月一日は実に胸臆に印して記すべきの時なるかな。余は明日成田地方へ旅行に出かけんと思ひし故、一日の朝、非凡子(注-新海正行。岩雄ともいう。別号は非風)と共に上野の美術展覧会に行き古画を見たり。(中略)帰舎(注-寄宿舎に帰ること)して午飯を喫し了れば、非凡子また博覧会に行かずやといふ。すなはち相携へて同会に至る。(正岡子規『筆まかせ』第三編・明治二十三年の部「四月一日」)


博覧会から帰って寄宿舎で夕食、そのあとまた出かけて蕎麦屋で鴨南蛮と五目蕎麦を食べ、寄宿舎にもどる。そのあとさらに餅菓子を三個も食べた。

帰舎、晩餐を食し、夜に入りて鉄山(注-伊藤泰)・非凡二氏と共に山本某方に至り、鴨南蛮一杯、五目一杯と都合二杯を喫し、帰途鉄山は同室への御土産として餅菓子を買ひしを余も三個を喫したり。(同上)


さすがの子規も食べ過ぎで夜中の3時に目が覚め、苦しくて眠ることができない。

この夜ははじめより腹もちよからざりしが、就褥後三時頃に目さめてみれば、胸大いにつかへたる様子なり。(中略)嘔吐十数度に及び、この夜は眠られず、翌朝に至り下痢も二度ありたり。(同上)


嘔吐に下痢で旅行もとりやめ。明治23年4月1日はかくして記憶に留むべき一日となった。

これがために旅行もやめ、嗚呼(ああ)明治二十三年四月一日は記憶すべきの時なるかな。(同上)



【参考文献】
『子規全集 第十巻 初期随筆』講談社1975年5月

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テーマ : 歴史上の人物
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