正岡子規、板橋へつくし狩りに出かける

明治23年(1890)4月7日-東京で学生生活をおくっていた子規はこの日、竹村鍛・伊藤泰の二人に誘われて、つくし狩りに出かけた。郊外の板橋へと向かう(以下、引用は『筆まかせ』第三編・明治二十三年の部「筆頭狩」)。

四月七日天気快晴一点の雲なし。其十(注-竹村鍛)・鉄山(注-伊藤泰)の二氏に促されて午前九時頃、弁当を携へてつくし狩りに向かふ。(中略)高等中学の前より路を転じて板橋街道につき、一里ばかりも歩めば人家漸く疎なり。つひに町はづれに出()でければ麦緑菜黄の景色ひとかたならず、
菜の花やはっとあかるき町はづれ


板橋に到着。町はずれの野原や板橋公園でつくしを摘む。

つひに板橋に達す。町はづれより右に折れ、水車場に沿うてうしろにめぐれば、少し広き草原あり。ここぞつくしの群生する場所なりと鉄山の言にまかせてそこここと探るに、少し時候は遅れたれども無数の小筆にょきにょきと林立するは心もちよし。(中略)大かたは取り尽くして後、川ばたに帽子をしきてその上に腰を据え、弁当と麪包(パン)とを喫し尽くす。(中略)路を尋ねてやうやうに板橋公園に出()づ。ここにてまたつくしんぼを狩りはじめ、肩かけかばんと二つの風呂敷とに満てたり。


帰途、片町のほとりに出る。芝生の広場があり、こういうところで野球をしたいと思う。当時の子規は野球に熱中していた。

それより片町のほとりに出()づ。植木屋おびただしく、ときに芝を養生する広場あり。我々ボール狂にはたちまちそれが目につきて、ここにてボールを打ちたらんにはと思へり。
春風やまりを投げたき草の原


寄宿舎に帰り、大勢集まってつくしの袴をとる。つくしは翌日の昼のおかずとなって皆の腹の中におさまった。

帰舎後、大勢打ちよりてつくしの袴をぬがしめ、翌日の午飯の菜として腹中に葬り終わんぬ。



【参考文献】
『子規全集 第十巻 初期随筆』講談社1975年5月

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テーマ : 歴史上の人物
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