長塚節、初めての子規庵訪問

明治33年(1900)3月27日-子規に師事したいとかねてより念願していた長塚節(当時22歳)はこの日、意を決して根岸の子規庵を訪れたのだが、門前には人力車が一台停っていて先客がある様子、門をくぐる勇気が出ず、そのまま帰ってしまった。

どうしても先生(注-子規のこと)に遇ってみたいという念慮も起こって来る。その念慮が起こると一層先生が慕わしくなったのであるが、(中略)明治三十三年の三月二十七日に染筆を乞うつもりで短冊を用意して半ば畏れを懐いて先生を訪問に行った。(中略)非常に天気もよい日であったが、午後から出かけた。黒塀をぐるっと回って前に見ておいた門のところへ出ると立派な人力車が一台主人を待って控えていて、そっと玄関を見ると客の下駄のようなのが二三足ならんでいる。思い切って入ろうかと思ったが、何となく気おくれがして二三遍行ったり来たりしたままとうとう門の扉をおしあける勇気も出ないでしおしおと帰ってしまった。(長塚節「竹の里人」)


翌日、あらためて訪問。先客があることを恐れて午前中に訪問した。

翌日は人に先んぜられないようと思って午前に行った。今日は誰もまだ来ていないようであるから玄関に立って案内を頼む。そのうちにゴホゴホという先生の咳は二三度聞こえて、やがておっかさんが出られたので自分は半紙を手頃に切って自分でしたためた名刺を出す。しばらくすると導かれて先生の病室六畳へ通された。(同上)


奥の病室に通されて子規と対面。「歌について教えを受けたいのです」と長塚は語った。

そのとき先生はガラス窓に近づいて襖の方を枕にして寝ておられたが、上体を少し擡(もた)げて左の肘で支えつつ今自分が出した名刺を蒲団の上へ置いて下を向いたままじっと見つめておらるるところであった。いや失敬というような先生の挨拶があって、俳句のほうでお目にかかったことがあったですか、歌のほうでお目にかかったことがあったですかという問いがあった。そこで自分は歌について教えを受けたいのであるというと先生はしばらく黙しておったが、いくらでも作るがいいのですと言って、またほどへて、作っておるうちにわるいほうへ向かっておるとそれがいつかいやになってくるのです。わるいことであったらきっといやになってしまうのですというようなことを話された。(中略)それからなお自分は昨日来客があるようだから帰ってしまったというと先生はそれは惜しいことをした、歌の人が二三人来ていたのだ、昨日見えればよかったのにということを言われた。(同上)


この訪問で長塚は子規に弟子入り。その翌々日(30日)には丹波栗二升を手みやげに再度訪問した。以後、この弟子はさまざまな贈り物でもって子規を喜ばせたり、またときには困惑させたりするようになる(→過去記事参照)。

【参考文献】
『子規全集 別巻二 回想の子規一』講談社1975年9月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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