三津の魚市(2)

三津は古くから魚介類の集散地、その魚市は盛況なことで知られていた。

三津浜の西北八丁に魚市場がある。毎朝ここに集まって来る漁師、肴売りは何百人という数で、近海の肴は皆一応ここに集まって、それから松山、道後、その他付近の各地方に送らるるのである。船に積んで県外に輸出するものも少なくない。町内唯一の盛観で、魚市場としては関西第一の称がある。元和二年に創立されたとのこと。(『松山案内』明治42年)

当町魚市場は関西第一の称あり。元和二年の創立に係り、毎朝数百人相集まりて魚貝を売買す。(『新編温泉郡誌』大正5年)

毎朝三津港頭における朝市は古来有名の市場にして、元和二年に創設せられたりという。日々集散する魚類極めておびただしく、群集せる漁夫商人は千を以て数うべく、加うるに近来果物蔬菜の市場も同時に開催せるを以て、その盛観は当町の花と唱すべく、古来魚市場として関西一の称なり。(『松山案内』大正7年)

魚市場 三津の朝市と称し港頭に直ちに円状の広場あり。円廊にて囲まれ、中を石にて畳み、毎朝早く魚市を開く。その繁盛関西第一の称あり。近海の漁業者多く集まりて商い、松山平野及び松山に供給するとともにまた盛んに船にて県外にも輸出さる。一年の取引高二十五万円の多きに上る。(『松山地方の地理歴史』大正8年)


三津を訪れたことのある国木田独歩も魚市の盛況ぶりを伝えている。

その次は四国の三津ケ浜に一泊して汽船便を待った時のことであった。夏の初めと記憶しているが僕は朝早く旅宿を出て汽船の来るのは午後と聞いたのでこの港の浜や町を散歩した。奥に松山を控えているだけこの港の繁盛は格別で、わけても朝は魚市が立つので魚市場の近傍の雑沓は非常なものであった。大空は名残なく晴れて朝日麗らかに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑沓の光景をさらににぎにぎしくしていた。叫ぶもの呼ぶもの、笑声嬉々としてここに起これば、歓呼怒罵乱れてかしこに湧くという有様で、売るもの買うもの、老若男女、いずれも忙しそうに面白そうに嬉しそうに、駈けたり追ったりしている。露店が並んで立食いの客を待っている。売っている品は言わずもがなで、喰ってる人は大概船頭船方の類にきまっている。鯛や比良目(ひらめ)や海鰻(あなご)や章魚(たこ)がそこらに投げ出してある。腥(なまぐさ)い臭が人々の立ち騒ぐ袖や裾に煽られて鼻を打つ。(国木田独歩「忘れえぬ人々」明治31年4月「国民之友」発表)



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三津埠頭の現在の水産市場。

【参考文献】
東俊造編『松山案内』松山市勧業協会1909年5月
松田卯太郎編『新編温泉郡誌』松山石版印刷所1916年3月
松山商工会編『松山案内』松山商工会1918年11月
中野茂・中川一男『松山地方の地理歴史』1919年11月
『現代日本文学館2 二葉亭四迷・国木田独歩』文藝春秋1968年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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