松平定行、松山城の天守を改築

寛永19年(1642)、松平定行、松山城の五層の天守を三層に改築。本壇付近の地盤が強国でなく、五層では危険との判断からこの改築がなされたという。またこの改築は定行の弟の定房(今治藩主)の勧めによってなされたともいわれる。

御城御天守も五重なりしが、寛永十九年御願の上、三重に御営みがえあり。右下説は、当御城は高山の上、三峰を一山に御築き故、往々は山なびき狂い、五重にては危うからんとの御念慮にて三重に御営みがえと申し伝う。また、一説は今治様の御勧めにて右の通り御営みがえとも申し伝う。当御本壇の場所は至って深き谷間にてありしとなり。今治様というは安心軒様の御事なりと。このとき黒腰付きに成りたるよし。(『垂憲録拾遺』)

一、同十九年壬午年 松山天守五重の所、松平美作守定房侯御進め、三重に成し給う。このとき黒腰付きに相成る。(『予松御代鑑』)


「このとき黒腰付きに~」というのは下層階の外壁を黒塗板張にしたという意であろうか。

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定行が改築した三層の天守は天明4年(1784)1月、落雷によって焼失。現在の天守は幕末の再建(嘉永5年〈1852〉12月再建工事終了、翌々年2月落成の式典)。

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【参考文献】
伊予史談会編集発行『垂憲録・垂憲録拾遺』1986年1月
伊予史談会編集発行『予松御代鑑』1983年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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