藩主定行「松山は類もまれなる上国なり」

桑名11万石から松山15万石の領主となった松平定行(1587-1668)。その定行は松山について、「類もまれなる上国だ。米の収穫は多く、30万石ともいえるほど。何不自由ということもない」としばしば語ったという。

勝山様(注-定行)、おりおり御咄の御ついでには、松山は類もまれなる上国なり。土地狭しというとも、米穀のたくさんなる事はおよそ三十万石の大名にも劣るまじ。海山ともに近く何不自由という事もなければ、年々に奢りの長ずる風になるべし。子孫、松山を居城とせば心得あるべき事なりと御咄ありとなり。(『垂憲録拾遺』)


「何不自由ということもないから、次第に奢りの風も生ずるだろう。わが子孫はよく心得ねばならぬ」とも定行は言った。

「藩の特産物もつくらねばならぬ」とも言い、広島から大量の牡蠣を取り寄せ、浦々へ放流したという。

右の通り奢りに長ずる国風なれば、米ばかりたくさんにて国産少なきときは、米を売りて無益の衣類・器ものにすべし。さすれば米たくさん出来のかいなし。何かな国産を御拵えあそばさるべしとて、天野作右衛門、唐松屋九郎兵衛(注-ともに三津の商人)へ仰せ付けられ、芸州(注-現在の広島県)より牡蠣をたくさん御取り寄せ、寛文三(注-1663年)の春、浦々へ御放ちあそばされしなり。その後少々宛、牡蠣出来せしはこのときより始まりたり。(同上)


定行はこの牡蠣のほかにも鶉、白魚、茶などさまざまの産品を奨励して、藩内の殖産興業につとめた。

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祝谷東町の常信寺にその定行の霊廟がある。

【参考文献】
伊予史談会編集発行『垂憲録・垂憲録拾遺』1986年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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